1.…おそらく10代の頃にこの映画を見たなら、もっと素直に感動できたんだろうなあ。親からも、学校からも、友人たちからも期待され続けた青年が自殺する。その死が、周囲に与えた衝撃と動揺を描いた群像劇としてある本作。若い頃なら、死んだ青年の「苦悩」や「純粋さ」(…歳の離れた幼い弟に対してだけ、素直に心を開くあたりの描写は、どこかサリンジャーの小説の主人公たちを想わせる。特に、最後にやはり自殺する「バナナフィッシュにうってつけの日」のシーモア・グラースに)に“共感”し、あるいは、彼のことを結局何も分かってやれなかったことに激しく後悔する親友(演じるのは、若きキアヌ・リーブス。ナイーブでナーバスな心の揺れを見事に演じてみせる)の「苦悩」や「純粋さ」に“感動”できただろう。が、今のぼくには、「自殺とは、どれほど無責任で身勝手な愚考であることか」という、まったく逆の〈メッセージ〉こそをこの映画から受けとめてしまう。…そのひとつの死が、どれだけ周りの人間たちを蝕み、心を“殺してしまう”か。決して映画がめざそうとした方向とは正反対の、「ある残酷さ」を読み取ってしまうのだ。もっとも、そういう「両義性」を持ちえたことが、この作品を、単なる感傷的な凡百の青春映画を越えたものにしたことは間違いない。そのひとつの死を、彼や彼女たちはいかに乗り越えたか、そんな「喪の仕事」にきちんと心をくばった本作の作り手たち(というか、この程度の脚本からかくも“深い”視点を観客に読み取らせた監督)の誠実さを、ぼくは称えたい。後にデヴィッド・リンチ作品で開花することになる、アメリカ地方都市の光と陰の部分を繊細にすくいとった撮影監督フレデリック・エルムスの映像も、ジョー・ストラマー(!)のしみ入るような旋律も、作品に贅沢なプラスアルファを与えている。そして…これはあくまで個人的にだけど、わが愛しのジェニファー・ルービンがかくも初々しく画面を彩り、あまつさえクライマックスをまかされている、このことだけでもぼくには忘れ難い映画なのであります。思えば、もはや“B級”映画でやたら脱ぎまくる「ジャンク女優(トホホ)」程度にも知られていない彼女の映画をレビューしたくて、ぼくはこのサイトに書かせていただくようになったのだった。…それだけでも、「8」点を献上する価値ありでしょ(笑)