1.第2次世界大戦下のパリに実在した、医者のプチオ先生。ユダヤ人の亡命を手助けすると言っては彼らを騙し、次々と殺害しては金品を盗む…といった最低の殺人鬼であります。しかもこの大先生、ワクチンと称して遅効性の毒薬を注射し、のぞき穴から被害者の苦しみもがく姿を嬉々として眺めるのが何よりの愉しみ。そして遺体を焼却炉で焼き、残された遺品に高価な品があるとウヒャヒャとばかりに踊り出す始末。全編にわたって、映画は彼のこうした鬼畜ぶりの繰り返しなんですよね。…そして見ているぼくたちは、いったい人間とはここまでハレンチなまでに良心をなくし、ほとんど滑稽なまでに「残忍」になれるのかと、思わず茫然自失してしまうこと間違いなしでありましょう。
ただ、それだけのことなら、『主婦マリーのしたこと』や『ルシアンの青春』をはじめ、単なる“占領下のフランス人裏面史もの”のひとつにすぎない。フランス映画には、自国の「レジスタンス神話」の欺瞞をあばき、自分たちの戦争犯罪に向き合おうとする一連の映画や小説などが存在していて、これもその、かなり地味でマイナーな1本であるには違いありません。
けれどこの映画が本当の意味で衝撃的なのは、主人公のプチオ医師の行為を、まさにナチスによるユダヤ人完全抹殺計画(ホロコースト)の完璧な「アナロジー(類似)」として描こうとしていることでしょう。あの人類史上に例のない大虐殺は、何もナチスという集団だけの“例外的な狂気”によるものものじゃない。このプチオみたく、個人の欲望のなかにすでに存在するものとしてある…。つまり、「ホロコースト」は誰の中にも起こしうる可能性(!)があること、ひいてはナチスの虐殺に対して万人が決して「無関係」ではあり得ないことを、この映画は、卑小な殺人鬼の姿を通じてぼくたちに突きつけている。…ほら、アウシュビッツの責任者だったアイヒマンだって、“素顔”は平凡すぎるくらい平凡な人間だったじゃないか、と。
正直言って、映画としてはミシェル・セローの悪趣味なまでに誇張された演技が、ブラックなユーモアを漂わせていること以外、見ていて「面白い」と言える代物ではありません。が、ほとんど露悪的なまでに人間性の根源的な「悪」を凝視した監督のまなざしの仮借なさを、ぼくは高く評価したく思います。確かに「つまんない(!)」映画だけど、刺激的です。 一見をおすすめします。