1.常に時代と真正面に対峙してきた孤高の映像作家・若松孝二が実話にヒントを得て、犯罪を犯した少年の心の軌跡に迫った作品である。冒頭からマウンテンバイクをひたすら漕ぎ続ける少年の姿が映し出される。どうやら彼は北へと向かっているらしいが、何故北なのか。そして何処へ行こうとしているのだろうか。やがて彼が母親を殺害したらしい事が暗示される。しかしそこへ至るまでの経緯や動機、あるいは家庭の事情などは一切語られる事が無い。映し出されるのは彼の勉強部屋であり、親に買って貰ったであろうマウンテンバイクが象徴的に示されるだけだ。おそらく何不自由のない生活を送ってきたはずの彼が、何故そのような行動に出たのか。17歳という年齢は、言わば少年から青年への過渡期であり、多感で繊細であり反抗期といった成長過程における難しい年頃であることも事実だ。そしてそれが人を殺すという行為にまで発展してしまう事こそが、まさしく現代社会の歪みであり、時代そのものを象徴している現象だと言える。しかし、映画は敢えてテーマを掘り下げようとはせず、ただ徹底して彼の姿を追い続けていく。次々と変化する周囲の風景。中でも豪雪地帯や荒波の海岸などの厳しい自然描写は、少年の心象風景ともとれるが、装備の整え方から見ても、決して発作的に家を飛び出して逃避しているようには見えない。また苦悶する表情は、あくまでもペダルを漕ぐ辛さからくるものなのだろうし、罪の意識を感じていながらも表情だけはどこまでも冷静であり続ける。そこが彼らの尋常ならざる心理であり、怖いところなのだ。結局、旅は何処まで行っても、もがき苦しむだけで答えは見つからない。最果ての地でマウンテンバイクを谷底へ投げ捨て、叫び声を挙げる少年の姿で映画は終わる。そのとき彼は何かが変わったのか、または何も変わらなかったのか、映画は何も教えてはくれない。本作は、ドラマらしいドラマも無く、単調でありながら多くの事を感じさせるという、映像表現の難しさに果敢に挑戦した気骨のある作品だと言える。それだけに、二人の老人との出会いのエピソードは単なる世の中の恨み節にしか聞こえず、皮肉にも語ることの無意味さを覚えた。