4.《ネタバレ》 サトウハチロー曰く。「近頃、大人の真似をするゲテモノの少女歌手がいる。近頃でボクの嫌うものはブギウギを唄う少女幼女だ。消えてなくなれとどなりたくなった。吐きたくなった。いったい、あれは何なのだ。あんな不気味なものはちょっとほかにはない。可愛らしさとか、あどけなさが、まるでないんだから、怪物、バケモノのたぐいだ。」
確かに子供らしい声ではないし、妙に大人びた歌唱法が鼻につく。それよりも歌詞が問題だ。「夜のグラスの酒よりも もゆる紅色色さえた 恋の花ゆえ口づけて 君に捧げた薔薇の花 銅鑼のひびきにゆれて悲しや 夢とちる」こんな歌詞を12歳の子供に唄わせた大人の事情が知りたいものだ。“大人の真似をしてブギウギを唄う少女”から脱皮させたい意図があったにせよ、度が過ぎるのではないか。いったい子供から子供らしさを取ったら何が残るのか。作曲家の兄が出征前に、12歳の妹に残した歌としても不自然だ。
映画は、復員者の兄と戦争孤児の妹との再会を「すれ違い」の手法で描く。何度か会いそうになるが、すれ違ってしまう。観客はその度に溜息をつく。偶然が重なり過ぎると興ざめだし、あまりすれ違わないと興が乗らない。その匙加減が難しい。本作品では偶然が重なりすぎている。バーのウエイトレスの京子を中心に物語が回る。無銭飲食の「兄」を京子が助け、「妹」を京子が家に引き取り、トラックを運転していた「兄」が京子の父を轢きそうになり、麻薬組織に捕まった京子を麻薬組織の一員になっていた「兄」が助け、「妹」がキャバレーで唄っているのを京子が発見し、「兄」との再会を果たす。結末は誰の眼にもあきらかなので、それをいかに感動的に演出するかが監督の手腕の問われるところ。その点、本作はいかにも凡庸。脇物語として、堤琴家で音楽としてはクラシックしか認めない京子の父が、かわいい「妹」のために舞台で堤琴を奏でるようになるというのがあるが、これもあっさりとして演出で、感動には至らない。空襲の余塵の残る横浜の様子と、若々しい原保美のアクションが観れたのが収穫。