1.《ネタバレ》 過去に類例が無いであろう、男性器にこだわった作品で、男性器をめぐる珍妙な家庭内愛憎劇だ。
冷え切った家庭の父、母、息子が主人公。父が愛人と情交するのを母と息子が目撃する。母は精神が破綻し、夫の性器を刃物で切ろうとするが不首尾で、咄嗟の代償行為で息子のそれを切り、食べてしまう。そして失跡する。責任を痛感した父は、医師に性器を切除してもらう。息子は父の愛人に関心を持ち、不良達に混じって強姦してしまう。鑑別所の入れられた息子を不憫に思った父は、ネットで得た知識で体得した“激痛射精術”を息子に伝授する。快感を覚えた息子は、出所して愛人と奇妙な愛の交歓をする。息子は性器再生手術を受けたが、勃起しない。しかし、舞い戻って来た母に欲情して勃起した。息子を慰めたい母は息子と性的関係を持とうとする。
家庭が再生する物語と予想しながら観ていたので、最後の展開には驚いた。
科白が一切無いことから、寓話的世界を表現しているのが判る。
生殖である男性器は家庭生活に不可欠だが、不倫など性欲の使い方を間違えると家庭が崩壊する。
性器を失くした男は男でなくなり、侮蔑の対称となる。男性器の再生は不可能である。
メビウスの輪は裏と表が繋がり永続する環構造で、「悲夢」の「黒白同色」に通じる。
母と愛人役が一人二役だったのは、妻も愛人も男性器という性欲の前では同じ一続きのものであるということを表現したかったのだろう。近親相姦も同じである。
激痛と快楽が表裏一体のように、性欲も解脱も同じ一続きのものだ。性欲は生命力、解脱は死、すなわち「生死即涅槃」である。
仏像に祈る男が二度登場する。一度目は失跡後の母が目撃し、二度目は、息子が“祈る男”になっている。
“祈る男”は解脱の象徴で、「煩悩即菩提」ということだろう。
息子は自ら再生性器を除去して煩悩を絶ち、仏門に帰依して心の安定を得た。父は無理心中することで家庭の業を断ち切った。祈る男は求道する監督の姿と重なる。
いつもの芸術的映像は影をひそめ、説明的で冗長なのが残念だ。主人公達に科白が無いのはよいが、警官や不良達まで科白が無いのはは不自然すぎる。内容が内容だけに、一般の視聴者の共感を得るのは難しいだろう。