1.《ネタバレ》 自主映画ということだろうが、各地の映画祭に出して評判がよかったらしい。同名の洋画(1979年製作、以降シリーズ化)との関係があるかどうかはわからない。
これを単なるホラー映画として見た場合、通常の和風ホラーの特徴を備えたあまり独創性のない映画に見える(大して怖くもない)。家の中に何か出るとか、最後に現場へ突撃するといった展開は基本的に既存パターンに乗っかった感じがある。また子どもの絵で区切りを入れるのは悪くないが「呪怨」の章立て方法を真似たようでもあり、ビデオ映像の顔が歪むのもありきたりである。ただ危機が迫った場面でドラのような音が鳴り渡るといったところは独特な表現だったかも知れない。
また娘役の末永みゆという人は「日テレジェニック2013グランプリ」とのことで、それなりにアイドルホラーとしての性質も備えていたりする。その面からすれば「あみちゃん」の章が見どころだろうが、これもありがちな怖がらせに終わっていたようで、この部分が最も普通の低予算C級ホラーのように見えた。
一方この映画で特徴的だったのは、怖さというより家族の心の問題を根幹に据えたように感じられることである。個別の場面としては息子の死去後の、平穏に見えながらも爆発寸前のような夕食場面には緊張感を覚えた。そのあと最初の怖い場面でも、心霊現象の予兆というより精神面の危機が強調されており、こういうところにこの映画としての方向性が示されていたように思われる。
また特に印象的だったのは、妻(母)が降霊術を必要とした理由がわかったと降霊術師が告げて以降「理解できなくてもやれることはあります」までの場面である。ここは単純に夫(父)の知的能力の限界を示したようでもあるが(幅が狭く硬直的)、より一般化して考えると、理性的判断と心の問題は互いに排他的なものでなく別系統で併存すべきものであって、深刻な齟齬が生じた場合は理性の方が心の問題に寄り添う必要がある、というように受け取れた。
劇中では、最初は気丈そうに見えた妻(母)が表面では理性的な態度を崩さないながらも、内心とのギャップに耐えかねて日常世界から外れていくのが痛々しく見えた。ラストは「予言」(2004)のようでもあるが、自分としては全体的に「仄暗い水の底から」(2001)を想起する。似ているところがあるから悪いというわけではなく、同種の感慨を覚えるいい映画だった。