1.《ネタバレ》 舞台をネタにしたドラマかと思ったら、コンサートの様子をそのまま収録した音楽映画。
デヴィッド・バーンのニューアルバム「アメリカン・ユートピア」に併せた世界ツアーの評判が良かったため、ブロードウェイ舞台用に再構築した所、これも更に高評価を得たため映画化に結び付いたとか。
バンドメンバーは総勢12名。ヴォーカル、ギター、ベース、キーボード、ダンサー2名、あとはドラムスとパーカッション群。
アフリカや中南米の民族楽器を自家薬籠中の物として使いこなすさまは、さすがかつてのワールドミュージックの先駆者という感じ。
本作の目玉は楽器が全てワイヤレスで繋がれている事。キーボード、ドラム、パーカッション群は吹奏楽団のごとく楽器を肩からぶら下げており、全員が自由に動き回れる。
通常のライブだとギター、ベースのみがコードが伸びる範囲で動き回れるものですが、ここではメンバー全員の行動に物理的制限が無いため、様々なパフォーマンスが楽しめます。最後は全メンバーが演奏しながら観客席の一番最後列のを後ろをグルーッと1周して帰ってきたりする。
ただブロードウェイ・ショー用のプログラムの為、ロック的要素は希薄。寸劇、パントマイム、ダンス、マスゲーム等が新作やトーキングヘッズ時代からの代表曲を介して連なっていくという感じ。
ここに何でスパイク・リー監督が絡んでくるかというと、プログラムの最後の方に黒人差別反対の明確なメッセージを打ち出した曲があるため。冒頭から始まる「脳の仕組みの話」も、なぜ差別が生まれるかという話に収束していく。タイトルロゴで「ユートピア」の文字だけ反対になっているのは「現在はユートピアではない」というメッセージが込められているため。
この辺は個人的には、既存メディアの主張と言っている事が同じ過ぎてアートの表現としては微妙でした。黒人差別を無くすべきなのは当然だけど、アジア人である自分が心を寄せられる存在は、どちらかというと原住民族であるインディアン(ネイティブ・アメリカン)。彼等から見れば「白人も黒人も土地を返して帰ってくれ」というのが本音ではないのか・・等々と考えてしまい、これだけ「多様性」「多元性」が声高に主張される割には、表現が少し一方的・単線的すぎるような気がしました。
ただそれらを差し引いても、アイデアも音楽も面白く、クリエイティブな姿勢が清々しい。とても元気をもらえる映画でした。
ダンスパフォーマンスと言えば忘れもしない、気色の悪い白塗り舞踊(朝鮮の「病身舞」だとか?)を敢行し、日本のみならず世界中の元気を奪い取ってしまった東京オリンピック開会式。あんな事やっておいて、演劇に客が入らないので国の補助金よこせ云々言ってる模様だし。関係者達に本作の爪の垢でも煎じて飲ませたい感じ。
そもそもかつてバーンとともにアカデミー賞を共同受賞した坂本龍一って何やってるんだろう。YMOや「戦メリ」など何十年も前のカビの生えたような自慢話を繰り返しているだけのようで、今なお第一線級のクリエイティビティを発揮するバーンとはあまりに対照的。日本の音楽・アート業界って一体どうなってしまったんでしょうか。何故こうも違うのか。こっちの業界も今話題の在日と某教団に汚染されまくっているんですかね。