7.《ネタバレ》 納棺師という職業に焦点を当てているんですが、この作品には笑いと涙、そして何より、納棺の儀式がもたらす「尊さ」のようなものに惹かれてしまった。
納棺師は遺族の前で、死者の肉体を浄め、顔には化粧を施す、その所作をじっくりと見つめる遺族、その間各々の「死者への想い」も浄化されるのではないだろうか?
また、遺族の<旅立っていく者>への優しさも込められている。
この、様式だった美しい所作を観ている者は、死者を扱っているのに、とても温かいものを感じるはず。
この、「納棺の所作がもたらすもの」の描写。
これが、この作品の核であるのは間違いないが、それでも凄い力を持っていた。
ドラマ的要素は、まるで「納棺儀式」の見えざる力に取ってつけたかのように感じる。
私が興味を引いたのは妻・広末涼子の存在。
現代的な妻で、東京にいる時は普通の妻であり、故郷に帰って暮らすことにも抵抗がない。しかし、夫が納棺師と判明した瞬間、はじめて夫に嫌悪感を見せる。
広末の役の必然性の一つとして「納棺職に対する客観的な視線」というものがあると思う。結局、彼女は銭湯の吉行和子の葬儀に立ち合い、自らその尊さを体験し、また<その事を理解している>本木の所作をも感じ、完全に和解をしている。
この辺りの広末涼子の台詞なき視線、変貌が実に素晴らしいし、また、この「客観的な視線」の存在によって観客をも引き込んだ。広末の視線にはこのような力を感じた。
最後、本木が父親と真に再会し得たのも、儀式としての肉体の浄化だけではなく、彼の「過去に対しての憎しみ」が全て浄化されたからであろう。終盤になると、あの儀式が持つ力を感じさせられるのです(勿論、本人の優しさという前提もあるのだが)。
よって、この作品は「納棺所作」に説得力がないと成立しないのですが、非常に丁寧な撮影振りです。
そして、ストーリーを超越した力を持っている映画と思いました。それは、切り口は違えど黄金期の巨匠小津・溝口らの凄みに迫るものを感じたと言ったら大袈裟か。
更に、バランスが非常に良いのです。
儀式の核心にのみ焦点をあてるとくどかったり、硬かくなったりするのですが、山崎努(最高!)、余貴美子らのコミカル&親近感、チェロ伴奏、庄内平野の四季など作品の幅を広くしている。
強く評価すべき作品だと私は感じました。