6.《ネタバレ》 非常に面白かった。しかし、どんな映画だった?と聞かれた時に答えに詰まってしまいそうだ。
本作には多数の学生が登場していて、それなりに奥行きをもって描かれている。クラスの主役級も脇役もみんなそれぞれに思いを抱えている。それぞれが決められたランクからはみ出さないように学園生活を送っている。
学生生活を送ってきた人なら覚えがあるだろう。そんなところが、本作特有の面白味である。
本作ではこのヒエラルキーがリアルに描かれ、そのヒエラルキー自体は認めた上で、下層部の人間より、
「上層部の諸君、あなたは充実してますか?」と投げかけているような映画だ。
もう一つのポイントは「桐島」である。
桐島不在で大きく翻弄された人っていうのは、実はヒエラルキーの上層部の人間だけ。
もともと桐島と深く関わっていない中層部以下の人々は、上の人間がバタバタしている横で普段と同じように自分の打ち込むべきものに打ち込んでいるのである。
したがって本作においての「桐島」は、「自分で考えることなく与えられた既存の価値観」を表していると考えられる。桐島をヒエラルキーの頂上として崇めている者には別軸の価値観が存在していないため、突然なくなっちゃうとガタガタになってしまう。他者に依存した価値観はかくも脆いものなのである。
スポーツ万能。女の子にもモテる。でも、どちらにも夢中になれず、親友の桐島にないがしろにされる男子生徒。
彼が野球部のキャプテンや映画作りに打ち込む男を観て、自分には何もないと気づくシーンでは胸が熱くなった。一種のヒエラルキーの逆転を、いやヒエラルキーなど無価値であるということが描かれていたのだと思う。
イケてようとイケてなかろうと、うまくいこうといくまいと、好きなモノに打ち込むという、それこそが素晴らしいのだ。
ある意味、ヲタクからリア充(モドキ)への挑戦状のような映画かもしれない。俺たちヲタクのが充実してるぜ!っていう。
学生時代どのポジションにいた人が見ても、何かを感じられる。語りたくなる青春映画。