群衆(1941)のシネマレビュー、評価、クチコミ、感想です。2ページ目

Menu
 > 映画作品情報
 > 映画作品情報 ク行
 > 群衆(1941)の口コミ・評価
 > 群衆(1941)の口コミ・評価 2ページ目
 > (レビュー・クチコミ)

群衆(1941)

[グンシュウ]
Meet John Doe
1941年上映時間:124分
平均点:7.04 / 10(Review 24人) (点数分布表示)
ドラマコメディモノクロ映画クリスマスもの
新規登録(2003-07-26)【シネマレビュー管理人】さん
タイトル情報更新(2023-01-09)【イニシャルK】さん
Amazonにて検索Googleにて検索Yahooにて検索
Twitterにて検索
ブログに映画情報を貼り付け
監督フランク・キャプラ
キャストゲイリー・クーパー(男優)ジョン・ドー(ウイロビー)
バーバラ・スタンウィック(女優)アン・ミッチェル
ウォルター・ブレナン(男優)大佐
エドワード・アーノルド(男優)D・B・ノートン
スプリング・バイイントン(女優)アンの母
ジーン・ロックハート(男優)
ジェームズ・グリーソン(男優)
原作リチャード・コネル〔脚本〕(原案)
脚本ロバート・リスキン
音楽レオ・F・フォーブステイン(音楽監督)
ディミトリ・ティオムキン
編曲ヒューゴ・フリードホーファー(ノンクレジット)
撮影ジョージ・バーンズ(撮影)
製作フランク・キャプラ
配給ニッポンシネマコーポレーション
編集ダニエル・マンデル(編集)
あらすじ
女性記者アンは、”クリスマス・イブの夜、ジョン・ドーが社会に抗議して自殺する”という企画を打ち立てる。 企画にのった彼女の新聞社は、面接に来ている失業者の中から、野球の2軍ピッチャーでお金に困っている純朴な青年ジョン・ウィラビーを雇い、”ジョン・ドー”に仕立て上げた。群衆は彼を偶像化し始め、”ジョン・ドー・クラブ”はアメリカ全土へと急速に拡大していった…。
ネタバレは禁止していませんので
未見の方は注意願います!
(ネタバレを非表示にする)

【クチコミ・感想】

別のページへ
【新規登録順】 / 【変更順】 / 【投票順
12
>> お気に入りレビュワーのみ表示
>> 全レビュー表示

>> 改行表示 ※《改行表示》をクリックすると個別に改行表示致します
※ 「改行」や「ネタバレ」のデフォルト表示のカスタマイズは「カスタマイズ画面」でどうぞ
4.《ネタバレ》 偽りのヒーローであっても、”隣人を愛する”ということを伝えたい、フランク・キャプラ監督の作品です。最初は小銭が欲しかっただけなのに、群衆が良い方向に勘違いして自分をヒーローに祭り上げていく様、政治ゲームにまで巻き込まれていく様、本当の善意とは何か?に苦悩するゲイリー・クーパーの演技が秀逸です。思うに、『ここまで来たら、もう引き下がれない』ですね。
どんぶり侍・剣道5級さん [DVD(字幕)] 8点(2005-06-15 19:54:14)
3.マスコミがでっち上げた偶像であり、人々の感動を誘った"一般市民ジョン・ドー"。その大衆の偶像である彼を演じるゲイリー・クーパーの素晴らしい名演技を堪能することが出来る一作。ただ、一番問題なのは当時の時代背景が理解できないせいか、今が平和すぎるせいかは分からないが、"ジョン・ドー"に共感と感銘を覚える一般市民の心情が理解できないことと、そのためかストーリーが強引に感じてしまうこと。
A.O.Dさん 7点(2005-01-28 19:11:36)
2.《ネタバレ》 実に簡潔かつ要領を得た邦題です。特段何らかの信念に基づくわけでもなく、その時々の世論やムードに流されて衝動的に行動する人々。マスコミによって捏造された偶像(=G・クーパー)を求めて、全国各地から大した思慮もないままに勢いだけで集まってくる様は、まさに「群衆」です。抽象的イメージに容易に扇動されてしまう「群衆」。クーパーに心酔する彼らの合言葉は「隣人愛」であり、一見具体的な活動目標にみえるものの、その言葉に酔いしれるだけでは単なる抽象的なお題目にすぎない。クーパーを貶めるようなちょっとした揺さぶりによって、いとも簡単に愛から憎悪へと態度を豹変させる「隣人愛」。「群衆」的行動の底の浅さが、悲しくも滑稽に描かれます。現代においても、一部の市民運動のごとく、こうした皮相な「群衆」は掃いて捨てるほど存在するでしょう。「群衆」は極めて現代的な概念であり、近代以前には存在しえなかった。「群衆」を巧みに利用した上で成立するのが「独裁」であることは、もはや常識以前のこと。では、そんな「群衆」に救いはないのでしょうか。決してそうではありません。本作のラストで、スタンウィックがクーパーに愛をうちあける行為に象徴されるように、また、最後までクーパーを信頼してくれたのが隣人愛を現実に実行した人たちであったように、抽象的題目や想像上の人間関係ではない、地に足のついた具体的な人間関係こそが、信頼や愛情・友情を育むということでしょう。そこにこそ、現代にまで続く「群衆」的世の中に対する答えがあると思います。
アイアン・バタフライさん 8点(2004-03-07 00:47:21)
1.ううーん、僕は「素晴らしき哉、人生!」でフランク・キャプラにぞっこんLOVE(←死語。というより、古語)してしまったクチなのですが、この作品は、ちょっとひねりすぎではないかなー、と思ってしまった。女性新聞記者の意図がいまいち掴みづらかった感じがしたし(後から分かってきたけど)、ちょっと設定が無茶すぎる感じがしました。「隣人愛」がテーマっていうのはいいんですけどね(もし今、キャプラが生きていたら、どんな映画を作るんでしょうね。ちょっと興味があります)。(6点)<2005.6.3追記>最近観直したのだけれど、これって実は「恐い」映画だ。恐くて、危うくて、過激で、挑戦的。多分、前に僕が観た時に感じた違和感は「素晴らしき哉、人生!」的なものを期待してたというのと、あとこの作品の中の「善意」というものの描かれ方にあったのだと思う。思うに人の「善意」というものほど当てにならなくて脆いものはない。それにその善意が純粋であればあるほど「狂気」や「暴力性」に転化する(特にムーブメントと結びついた時には良くない方向に進む事も少なくない、というのは、例えば宗教の歴史や一部の市民運動などを見れば明らかだ)。そういう意味で善意は悪意より厄介なものかもしれない。しかし!絶望的な中、主人公のジョン(すなわちキャプラ)は訴える。確かに世の中は腐ってる、かもしれない。人間なんて弱いし愚かだし、キレイゴトで片付かない問題だってあるよそりゃあ。んでもさ、そこで安易にニヒリズムに陥っちゃったってしょーがないじゃん。このまま負けを認めたってつまんないじゃん。てか、ささやかな善意すら信じられなくなっちゃったら、そもそも生きる値打ちなんてないじゃん。だから、も一回信じてみようじゃないか!と(←こういう台詞がある訳ではなく、あくまで僕にはそう聞こえた、という事です)。そういえば、貧しい移民の子であったキャプラは若い頃、詐欺師とまではいかないまでもそれに近い事もやっていて、映画界に入る時も、最初は監督としての契約金だけ貰ってトンズラするつもりだったらしい。それが後年人間の善性を訴える作品を次々と生み出す事になるのだから、ある意味ジョン・ドーはキャプラ自身なのかもしれないな、と思う。「素晴らしき~」ほど知られてないけど、これはまさに「裏・素晴らしき哉、人生!」。皆様是非是非観てみて下さいませませ。
ぐるぐるさん [DVD(字幕)] 9点(2003-08-11 17:37:29)
別のページへ
【新規登録順】 / 【変更順】 / 【投票順
12
マーク説明
★《新規》★:2日以内に新規投稿
《新規》:7日以内に新規投稿
★《更新》★:2日以内に更新
《更新》:7日以内に更新

【点数情報】

Review人数 24人
平均点数 7.04点
000.00%
100.00%
200.00%
300.00%
414.17%
528.33%
6520.83%
7416.67%
81145.83%
914.17%
1000.00%

【その他点数情報】

No名前平均Review数
1 邦題マッチング評価 6.50点 Review2人
2 ストーリー評価 8.33点 Review3人
3 鑑賞後の後味 8.00点 Review3人
4 音楽評価 7.66点 Review3人
5 感泣評価 7.66点 Review3人
chart

■ ヘルプ
© 1997 JTNEWS