1.《ネタバレ》 状況設定と時間操作におけるいわゆるご都合主義も、開き直ってここまでやればこれも映画の特権と自分を納得させるしかない。
単に犯人探しの観点から云っても、校舎玄関でのズームを交えた主観ショット一つで誰にでも犯人の目星はつくだろうが、
それによって犯人であろう人物の善良な身振りに凄味が加わることになったと見ることも出来なくもない。
子供たちの佇まいもよく、虐待を受けている少女が石田ゆり子の作った朝食のウインナーを口にするショットなどに少し心を動かされたりもするのだが、
そこでは映画内部と外部がほどよくせめぎ合っている。が、それも長くは続かない。
少年と少女が互いに交換した誕生日プレゼント、赤い帽子と水色の手袋が何ら視覚的に活かされないのもはっきり怠慢である。
ラストで森カンナかその娘がそのプレゼントを大事に持っている、くらいのことが出来ないものか。
広げた掌、繋ぐ手のモチーフは幾度も反復しているというのに。何故、あの大樹も最後に活用するとかしないのだろう。はっきりと、拙い。
逆に、有村架純のほうには雨あがりの陽を浴びせるといった演出をもってくるのに、彼女の人物像あるいは(外部的)背景が薄いために大して心に響かない。
あれほど饒舌に語っていたはずなのに。語られる言葉が全般的に観念的すぎるのである。