29.持たざることの自由、何にも属さないが故の自由。宗教について何にも知識が無くても最後までちゃんと観て富と権力を非難する製作者側のメッセージをよく理解できる。そして宗教の汚い部分と信仰の美しい部分を示し「清貧」という言葉の意味をより解りやすく丁寧に映像で教えてくれる佳作。 【WEB職人】さん 8点(2005-03-05 22:14:21) (良:2票) |
28.これまたどうなんだろう? 宗教映画と言うよりは、【やましんの巻】さんの仰られる様に、音楽共々ヒッピー映画の側面が強いと私も感じた(↑これって一応ミュージカルなんですか?)。宗教に関心の無い典型的な日本人、そして映画ファンの私には、フランチェスコがどういう人物だかさっぱりと伝わってもこなかった。小作人の一人が言った様に、この宗派(?)の開祖の人達は全員裕福の出。はっきり言って毎日が食うや食わずの人間に、花が美しいとか鳥は自由だとかほざいてる暇は無い。ましてや親の財産を勝手に捨てるなど言語道断。唯の放蕩息子でしょ、この人、4点献上。 【sayzin】さん 4点(2005-01-11 01:10:57) (良:1票) |
27.登場人物の陰影がとても薄っぺらいです。残念ですが、エンターテイメントとしてはこの点数止まりでしょう。でも、ふと人生に疲れた時、もう一度観直してみたいと思える映画でした。 【K】さん 6点(2004-09-24 20:53:28) |
26.映画館で見たのは、1974年。生まれたままの姿になるフランチェスコ、金髪の輝くクレアの断髪シーン、教皇インノケント13世との劇的な謁見が忘れられない内容です。そして、多くの人達がコメントするあの優しい音楽。それは、シンガー・ソング・ライター、ドノヴァン・レイチがギターを奏でて唄っている主題歌。静かな曲だけれどずうーっと耳に残っている。その後、この映画をテレビで何回か見たが、清らかになる気持は同じであった。 今度DVDが出たので、早速購入。見終わって、30年前と全く変わらない感想です。<アッシジのフランチェスコ>と言えば、殆どのカソリックの人達は巡礼聖人として良く知っている。彼を支えた聖女クレアの名前と共に。でもこの映画は、クリスチャンであるかどうかに関係なく、フランチェスコとその周囲の人達が示した暖かい思いやりに心を打たれる。フランチェスコを演じたグラハム・フォークナーも、クレアになった女優ジュディ・ボウカーも新人俳優で、二人とも新鮮そのもの、そして眼の輝きが素晴らしい。昨今の若い人達に是非見て欲しい秀作だと思いますね。 【チャロ主】さん 10点(2004-09-08 18:31:06) (良:1票) |
25.説教くさいけど、3回ほど泣いてしまいました。いい映画です。 【患部】さん 7点(2004-05-14 13:01:51) |
24.某胡散臭い宗教団体に勧誘用として見せられた、と、言う不幸な経緯を持つ映画なんですが(笑)えらく感動。然しその当時、勧誘がしつこかったという複雑な心境故にせっかくの名作が、ほろ苦い。個人的理由で、申し訳ない。 司教(だっけか)の足にキスするシーンが一番スキ。司教役のアレック・ギネス(だっけか)も、名配役。 【aksweet】さん 9点(2004-04-18 00:56:54) |
23.《ネタバレ》 10代の頃から何度かテレビで観て、観るたびに涙していた作品。自己形成にすごく大きな役割を果たしてきたと言える作品です。先日英語版のビデオをアメリカから取り寄せて久しぶりに観ましたが、やはりさわやかな感動を呼び覚ます。子ども時代の多感な時に見せたい映画の一つ。ただ、今の時代、あの若者の情熱にちょっと怖さを覚えることと、ローマ法王庁での場面で、結局は政治の道具にされることが中途半端に示唆されているのがストーリーとして不満なので、それぞれー1点。僕にとっては、映画としてよければそれが実話であろうがなかろうが関係ないんだけど。 【こがらし】さん 8点(2004-03-22 21:11:04) |
22.中学生の時に観て感動して以来、私にとってバイブル的存在の各品。これほど美しくて、清々しい映画は○十年経った今も見当たらない。鑑賞後は魂が洗われたような気分になるので、ことあるごとに観てますね。クレアのセリフ「理解されるより理解したい。愛されるより愛したい」は一番好きな言葉。殺伐とした今の時代にこそ、たくさんの人(特に十代の子達)にこの映画を観てほしいですね。名作として残っていってほしいものです。 【やむちゃ】さん 10点(2003-11-08 17:27:48) (良:1票) |
21.今ではこんな作品を創る人はいないだろうな。70年代前半になぜこのような映画が創られたのか?宗教というのは一つの生き方だとは思うが、あの挫折の時代(70年代)において、敢えて神の名のもとに、確信的に所有を否定する考えは、やはり一種の逃避としか思えない。この作品に見られるフランチェスコのような聖者像や彼に従って若い青春を抑圧する信者には、いまでは多くの人が共感し得ないだろう。若さ故の自意識の表出というのは、とても自然なことだ。そこでの挫折を僕らは「青春」と呼ぶが、生き難さの抑圧の中でも僕らは真っ当に生きることを目指して、社会における様々なエロスと抑圧を引き合わねばならないのだ。僕らは21世紀の高度資本主義社会に生きる者として、自明の抑圧に耐え、その中でささやかな生きていく欲望を見出だすのみである。青春を抑圧するところに哲学はない。。。と今では思うが、この映画を観た10数年前には、違和を感じながらもその清清しさに心を動かされたような気もする。実のところ。 【onomichi】さん 7点(2003-10-18 14:16:33) (良:1票) |
20.最初テレビで見てドノヴァンのテーマとともにえらく感動しました。映像もきれいでほんわかです。でも後に映画館で見たらテレビにない放蕩シーンがあって、ちょっとびっくり、ゲンナリしました。カットされていた短い方が良かったというと邪道かもしれないけど。テレビ版なら8点か9点なんですが・・・。 【omut】さん 7点(2003-08-03 04:40:09) |
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19.どんな宗教も、必ず、現実離れのユートピア思想というか、現実逃避の側面を内包しているものです。まして宗教的な環境に身を置いたことのある人なら、なおのこと、そのことに気づくはずです。ただ、この作品は、そういった場所から、少し離れたところにあるのではないかと思います。もっと自然で、もっとシンプルな、清く貧しく美しい日常的な生活に根ざしたものではなかったかなと思います。 【くるみぱぱ】さん 8点(2003-07-31 05:11:10) |
18.詳しいことは書かないが、自分も宗教的環境にいたことがあり、そこでは、バイブルのような映画であった。時代背景も視野に捉えて、深読みをしておられる方もいるようですが、【prado】さんが書いておられるように、素直に観たらよいのではないかと思っております。一言でいえば、清貧の思想を説いていると同時に、ドグマ主義と権威主義に陥っている旧態依然とした宗教を風刺しているように私には感じました。仮に史実に忠実でなくとも、映画の中で彼が説いたことは、人が幸せに生きる為のヒントにはなっていると感じます。映像美もさることながら、精神性の高さにおいても、良質の作品ではないでしょうか。 【すぎさ】さん 9点(2003-07-11 01:25:24) (良:1票) |
17.公開当時一度見たきり・・・でも強く印象に残っている。第一に音楽・歌、レコードで何度も聞いた。第二にアシッシの美しい風景、カメラがとてもきれいにとらえていた。これで今でもアシッシに行きたいと思っている。第三に聖フランチェスコの生き方、清貧に殉ずるその姿に感銘を受けた。細かな所は記憶が薄くなってしまった。年月がたった今、もう一度見てみたい。 【キリコ】さん 8点(2003-07-08 20:27:11) |
16.一貫してマタイの福音書の難しいとされる部分が、うまく解釈、描いている。「持たざることの至福感」と「(苦しみの中にも福音を見る)神への全面的信頼」は、極めてキリスト教の大事な部分である。ここが理解できない限り、「真理は汝らを自由にする」の意味がつかめない。戒律主義に陥り、哲学的苦行僧物語で終わってしまう。その至福感は、雪原での教会再建の場面、豪雨の中での托鉢の場面等の厳しい環境の場面で、「安心していろ(神が養ってくださる)」と言ってるかのように使徒・民を励まし、その時のグラハム・フォクナーの揺るぎない神への信仰を表す目力と、全ての苦しみを超越した微笑みが、多くの人の心を引きつけるのだろう。後半の迫害後、総本山の教皇に間違いを拝聴に行こう(もちろん、命がけだろうが)という考えは、通常の聖職者を描いた映画とは異なる。「苦しみも、御心」と受容し、感謝しつつ現実と対峙していく姿が描かれ、それがさらなる感動を呼び起こす(英映画「ミッシヨン」参照)。ある面で途中まで成功しているのに、詰めの甘さが致命的で、「Hippys!」「現実逃避」と批判されても仕方がない。 【prado】さん 7点(2003-07-06 12:44:44) (良:1票) |
15.かなり昔の映画なのにこんなに書き込みする人がいることに感激 ! 高校生の時、泣きました。今、高校生の娘に見せたいと思っています。 【kazuさん】さん 9点(2003-07-05 21:13:21) |
14.確かに現実逃避要素満点・・でも、私にとって、ダブるのです。あの若者が退廃的ムードに包まれていた、あの時代と、競争社会からはみ出した人達に溢れつつあるいまが・・もともと宗教は、現実逃避の為のもの的要素ありますからね。でも、やっぱり10点つけちゃう。当時(小学4年生)教会へ通っていた私は、単純に洗脳されちゃいました。(笑)何度でも見たい。特にクリスマスに・・ 【みか】さん 10点(2003-06-19 03:07:36) |
13.辛口採点している人があまりいなかったことに驚き。マイスター・エックハルトと双璧の神秘思想家アッシジの聖フランチェスコがこんな具合にいじられては全く浮かばれないね。映像美とドラマが乖離しまくっている。思想的には当時のトレンドのようなものだったが、今見ると古くささは否定できない。こういう現実離れのユートピア的思想はフランチェスコの実像とは似て非なるものだろう。同監督の「ロミオとジュリエット」は厚い原作のおかげで足らざるところが目立たなかった(ただし、よく観ると役者の演技を強調するような演出になっていない。主役2人の未熟さも考慮したのだろう。)が、こちらの薄いシナリオではどうしようもなかったようだ。それにしてもゼッフィレッリはここでも「ロミオと~」同様、美青年のスッポンポンを巧みに映像化して、おのれの秘めたる嗜好を満足させているなー(笑)。 |
12.皆さんえらく高評価だし、感動されているみたいで…コメントやめようかとも思ったんですけど…。これって、一種の”現実逃避”じゃないか、当時のフラワーチルドレンやヒッピームーブメントあたりの「汚い現実からさっさと逃げ出そう。どこかにある”魂のユートピア”を夢見て、眼を閉じていよう」っていう、どこかとても無責任な考え方を、そのままメッセージにしたような…。ぼくの知る聖フランチェスコは(と言うより、ロベルト・ロッセリーニの『神の道化師・フランチェスコ』を見たなら)、こんなニュ-ミュ-ジック風(!)「優しさ」だけの好青年じゃなく、もっとラディカルな存在だったはず。彼は、腐敗した宗教界と社会に対して、そのアンチテーゼだったわけでしょ。つまり、当時の世の中では「危険人物」だった…。『ペイネ愛の世界旅行』と一緒に見たなら、この映画が作られたあの年代の「傾向」が、よりハッキリと分かるでしょう。そしてぼくは、あの時代のそういう「無責任さ」が大嫌いなのです。 【やましんの巻】さん 2点(2003-05-31 14:16:33) (良:1票) |
11.ぶらざ~さ~んって歌が頭から離れませんでした。美しい内容です。 【ビビンバ】さん 9点(2002-07-27 14:28:51) |
10. テレビ・ビデオでおそらく2000回は見ている映画。19歳の頃に出会い15年、嫌なこと辛いことがある度にこれを見て癒されてきた。 【初投稿】さん 10点(2002-06-13 20:20:10) |