3.《ネタバレ》 娘を殺され、自らも人を殺めた男が教会を建てると誓う。このシーンがあるせいで泉があたかも神のお告げのような印象を与えているが、どうやらこのラストシーンは脚本家がどうしても入れたかったシーンであり、一方ベルイマンは入れたくなかったシーンだそうです。ということであれば解かる。ベルイマンが他の作品の多くに取り入れたように、この作品もまた神の不在が語られる。古代の宗教とキリスト教。貧しい者と裕福な者で神が異なるという矛盾。人を信じる者の理不尽な顚末(スウェーデン映画史上初めての繊細な強姦シーンがことさらに理不尽さを強調する)。復讐のための人殺し。そして罪から救われるための祈り。全ての人が祈るが自分のための祈りでしかないことは画面が伝えている。けして光が仰がれるわけでもなく、空が映されるわけでもなく、ただひたすら祈る人々だけが画面に映される。そして湧き出る泉がむなしく映される。