8.《ネタバレ》 「メリル・ストリープは化け物か!」と思われるほど、彼女の存在感が際立っている。
アカデミー賞ノミネートは伊達ではない。単なら“名前”だけではなくて、真の“実力”による評価だ。本作を見れば、メリル・ストリープが評価される理由がよく分かる。他の出演者の演技も素晴らしく、彼らの共演を見るだけでも価値がある。
ストーリー自体は難解ではないが、テーマはやや難解だ。根底にはキリスト教の思想があると思われるので、完全には理解しにくい。“神父は少年に手を出したのか否か”という点がストーリーの核となっているが、この真相は明らかにされていない。結論としては、物事に対して白黒をはっきりさせることが重要ではなくて、グレイであることも重要であるということを意味しているのだろう。「ダウト」は、ある意味では絆を強める効果はあるものの、過度な「ダウト」は自分と他人を苦しめて、事態を悪化させ、物事をさらに混乱させるだけなのかもしれない。
個人的には「爪は長くても清潔であればよい」という神父のセリフが特に引っ掛かった。神父は確かに規則に違反していたかもしれないが、救済や愛という宗教に根付いたものであるのならば行為自体は問題ではないということを暗喩しているのだろうか。
自らの欲求を満たすためではなくて、父親からの暴力や自らの性質等に苦しむ黒人の少年を認めて、彼を救うための行動であれば、罰せられるべきではないのかもしれない。
こういう考え方が、古い時代からの脱却となり、新しい時代の考え方に繋がるということになるのだろうか。
シスターの考えは、どういう理由であろうと爪が長ければ駄目だというものだろう。
しかし、規則を無視して視力が低下した年配のシスターをかばったり、生徒から取り上げたラジオを楽しんだり、嘘をつき相手を陥れ、過去に罪を犯したこともあるとも言っており、矛盾だらけの存在である。彼女はある意味では勝ったのかもしれないが、ラストシーンにおいて彼女が勝利者ではないことが分かる。彼女は自分の“確信”だけではなくて、“理念”や“信仰”にすら「ダウト」を感じているのではないか。本当に必要なものは“寛容”“赦し”という精神なのかもしれない。
シスター同士の会話を遮る邪魔者、電話の音、割れる電球、雷などを意味ありげに使用されている。絶妙なタイミングでのエンディングも奥深く、レベルが高い作品に仕上がっている。