3.戦後間もないフランスの田園地帯。それは「池の底」と呼称され、寄宿舎というにはおよそ程遠く、まるで牢獄の様な佇まいをみせている。そこには親との死別あるいは理由あって離れて暮らすことを余儀なくされ、日々寄宿生活を送る少年たちの姿があるのみ。その寂しさゆえ荒ぶ心の拠りどころを得られぬ彼らには、「目には目を」という体罰主義の校長の方針で、その自由さえ叶わない。そこへ舎監としてやってきたのが主人公のクレマン・マチュー。彼は落ちこぼれの音楽家であるが、校長のやり方に反撥し、悪ガキたちに手を焼きながらも、音楽の素晴らしさを教えていくというのが物語の大筋。確かに、かつて何処かで観たような聞いた事のあるようなお話しで、目新しさというものは感じられない。所詮「学園ドラマ」とはいつの時代でも同工異曲で、基本的なパターンは同じということ。しかし描き方によっては感動を呼び興すものがあることもまた事実。まだまだ無邪気さが残る少年たちそれぞれに個性が光るが、もう一人の主人公ピエールを演じるジャン=バティスト・モニエは本作の白眉であり、クールでナイーブな心の表現も然ることながら、なんと言ってもその透き通るような美声にはやはり聞き入ってしまう。一方、マチューをG・ジュニョに演じさせたのはやはり正解で、これが若くてハンサムな男優だと、もぅそれだけでクサい映画になっていたに違いない。初めて教室に入ってくるシーンでの子供たちの挨拶代わりの悪戯を、ウィットで切り返すという、定番ながら彼にしか出せないユーモラスな味というものが感じとれる。また、人生に失敗し身なりも粗末で風采の上がらぬマチューが、ピエールの母親に恋心を抱くも願い叶わず、ペアになった椅子を別の客に持ち去られた後、呆然としている姿が哀れみを誘う。彼にとっては最後のチャンスだったかも知れないだけに、人生のホロ苦さを感じさせる秀逸なシーンだ。ただ、マチューがどこまでも純粋で善良な人間で、校長はどこまでも悪人という描き方は、人間ドラマを底の浅いものにしているし、少年たちの心の叫びを歌声に変えるまでのプロセスは性急に過ぎる。そしてJ・ペラン演じる老成したピエールの回想シーンが、本筋にさほどの意味を帯びてこないのも残念で、バスで去っていくラストに深い余韻が残るだけに余計そう感じる。