71.タル版は以前ねむけまなこで観た記憶がある程度なので、ここではあえて比較はしないことにする。
ソダ版はアメリカでの散々な評価、大コケぶりや皆さんの点数のグラフの分布からも分かるようにほぼ駄作と決まりつつあるが、自分はこの幻想的でありまた神秘的(特に音楽が良い)であり、哲学性、倫理性を含みつつも愛した人を忘れられない未練たっぷりで、自分の犯した過ちのために前に進めなくなっている男を描いた本作の雰囲気はとても好きである。
それぞれの乗客にとってソラリスは別の意味があるのかもしれないが、ケルヴィンにとってソラリスとは一言でいえば「自分の過ちを償うチャンスが得られる」場所ではなかったか。
一緒に暮らしていても心を少ししか開いてくれない妻の性格等を理解できなく、お互い愛し合っていても理解しあえず、結局死に追いやってしまったその責任や過ちから解放されて前に進むことが出来る場所がソラリスではないか。
しかし、その過ちを償うことができても地球で二人で昔のように暮らすことはもはや出来ない、
そしてこの狭い宇宙船にもそのような場所はない。
詩が語っていた「愛は死なずに死の支配がない」ような世界、愛の中で永遠に生きる事が許された世界がまさにソラリスなのではないかと感じた。
その世界では二人が犯した過ちが全て許される、そして全く今までとは違う新しい生き方ができる場所なのだろう。
ケルヴィンが選択した二人が暮らしているラストの世界がそのような世界だと思う。
ケルヴィンをソラリスに導いたジバリアンは恐らく精神科医として彼を招いたのではなく、彼が再び前を向いて歩けるようにするため友人として彼をこの世界に導いたのではないかとも思う。
倫理的にも面白い部分はあると感じた。
実際の本人とは違う自己の記憶のみで構成された相手。その自分の記憶が正しかろうが誤ってようが関係なく本人に投影される。
そのため、誤った記憶のなかに自分の不存在を感じ、自己崩壊が生じる姿は面白いと感じた。
スノーのように自分を人間だと思う姿もこれまた面白い。
そして何者であれ、本人ではないと分かっていながら姿、形が同じであれば結局愛することしか出来ない人間の哀しさも描かれていると思う。