64.《ネタバレ》 「2」鑑賞後にバウズマンはセンスが足らんと書いたのだったが、「3」鑑賞後、それをさらに確信した。
「3」は非常に残念な仕上がりだったと思う。なぜなら、「1」のワンが脚本に参加しており、脚本そのものは悪くなかったからだ。やはりワンの才能はあなどれないと思う。
冒頭に、デンロン医師と「男性」の不仲シーンを見せることによって、あたかも夫であるかのように思わせる手法などは、あざといが、きちっと常道をおさえている。また、ジョンがことあるごとに「ルールを守れ」とアマンダに諭すことも、後になって効いてくる。繰り返されるアマンダの暴走ぶりも、ラストになって、ジョンがゲームを仕掛けた動機となってちゃんと効いてくる。
また、ジョンとアマンダの異常な師弟関係についても、二人の間には切っても切れない葛藤を含む結びつきがあったことを、脚本はちゃんとセリフを通して伝えようとしている。
そうなのだ、もしもこれをバウズマン以外のセンスある監督が撮って編集したなら、高校生を興奮させるだけでなく、大人の鑑賞にも耐えうる格調高いサスペンスになったかもしれない。
バウズマンのセンスの無さがいったいなんなのか、それは「3」によりはっきりした。
それは「観客の想像力に対する想像力の不足」だと思う。よって、その作品は「すべてをはっきり見せきる」というサービス過剰な状態となる。
「観客の想像力」だけで充分おなかいっぱいになる場面までも、ちゃんと見せないと気がすまないのだなあ。サービス過剰なのか、律儀というのか。どっちにしたって、センスはない。
だいたい、緊迫の場面がずーっと続いている話だというのに、「さあ、ここはもっと緊迫だよ!」とばかりに激しい音楽、手ブレ映像、フラッシュバックをお約束のように毎度毎度出してくる。だから、緊迫してるのはもう分かったって。
こういうのを「芸がない」というのだ。
バウズマンの作品というのは、高校生レベルの観客を興奮させるのがせいいっぱいである。
「1」のことを思うととても残念だが、バウズマンのおかげで「SAW」というのは「グロい」の代名詞になってしまうだろう。「SAWすごかったよなー」という会話が交わされるのは、男子高校生かオタク青年の間だけで、その意は「グロいという意味において」の「すごい」、でしかない。
私は「グロ」においても「格」や「品」は存在する、と思っている。