16.「バイオハザード」シリーズは、すべて映画館で観てきた。
理由は単純明快、1997年の「フィフス・エレメント」以来、主演のミラ・ジョヴォヴィッチのファンだからだ。
そして、第一作目「バイオハザード」は、彼女を“スーパーヒロイン”アクション映画の象徴として確立した秀作だからだ。
が、正直なところ、パート4となる今作については、劇場に足を運ぶつもりは無かった。
前作(パート3)の秀作から転じたあまりの「醜作」ぶりに辟易したからだ。
加えて、流行りに対して安易に乗じたとしか思えない「3D版」での劇場公開もマイナス印象だった。度重なるとってつけたような“3D版”の氾濫にはいい加減うんざりしている。
ブルーレイなりDVDなりを自宅で観るので充分だと考えていた。
それなのに、結局劇場に足を運んでしまった。しかも追加料金を払って3D版を観る始末……。
パート1を監督したポール・W・S・アンダーソンが、再び監督に乗り出したということも要因だが、結局は、「やっぱり3Dのジョヴォヴィッチが観たい」という欲望に負けたと言える……。
今作がパート4でなければ、それなりに満足出来たのだろうと思う。
パート3で行き過ぎてしまったヒロインの超人的な設定を排除して、原点に立ち戻ったことは良かった。
無数に襲いかかってくるアンデッドをただ単純に撃ちまくるというシーンの連続は、新たな工夫がまるで無い反面、原作であるゲームの趣向に近いと思う。
ほとんど無意味なスローモーションの連続も、ゲームの映画化において、映像の面白さだけを追い求めたと考えれば、決して悪くはない。
ただし、今作はシリーズの4作目であり、時代は2010年である。
どうしたってこれまでのシリーズ作に連なるストーリー性は求めてしまうし、3Dだろうが何だろうが、ただ「格好良い映像」なんてものは散々見飽きている。
映像世界の魅力だけで迫るのであれば、誰も観たことがない未知なる映像世界の「追求」が無ければ、観客のカタルシスはもはや得られない。
主人公の目的も基本となる世界観も、もはや二の次で、まるでテーマパークの“アトラクション”レベルの内容しか伴っていないことは致命的だ。
例によってまだまだ続編を作る気満々のようだが、もはや映画作品としての魅力は落ち込んでいるように思える。
とか言いつつ、また欲望に負けて主演女優の勇姿を観に行くことになるのかもしれないが……。