54.“偽装”によるイラン国外への脱出に危険とそれに伴う恐怖を訴える外交官たちに対して、主人公は「偽装だけが銃から身を守る」と諭す。
人間、極限までに進退窮まれば、最後に唯一できることは“偽る”ことだけなのかもしれない。
そして、人間による“偽り”という行為は、必ずしも悲観すべきものばかりではないとも思える。
人生において打ちひしがれ、落ち込み、どうにもならない状況に陥ったとしても、自分が出来得る万全を期してその状況を何とか“やり過ごす”ことが出来たなら、きっとその先の展望は開ける。
決して格好良い事ではないけれど、そのしぶとさを人間は誇っていいのだと思う。
この映画と、それを生み出したベン・アフレックという映画人に、そういうことを感じた。
この映画はあくまで米国側の視点、もっと言うならばCIAの主観とも取れる“見方”によって描かれた作品である。
だから、いくらノンフィクションを描いていると言っても、真実と異なる点は大いにあるのだろう。実際大部分は脚色されているらしい。
必然的に、イラン側は分かりやすく“悪役”として描かれているが、そもそもの発端には米英による陰謀的な搾取があるわけで、国家間の争いに善悪などないというのが実際なのだろう。
その歴史的事実に対しては、世界中の人々が、正しく認知すべきだろうと思う。
ただし、いくら捉え方が偏っていようとも、これが映画である以上、そこに間違いはない。
しかも、世界中の多くの人間が観て「面白い!」と思うのならば、殊更に何の問題もないと思う。
こういう自国が直接的に関わるリアルな事件や問題を題材にして、ひたすらに面白い映画に仕上げようとするハリウッドの体質を、作品を通じて垣間見る度に、アメリカという国は、世界一“愚かな国”だけれど、結局のところ世界一“強い国”だと思わざるを得ない。
何かがほんの少しうまくいかなければ、もしかしたら世界は破滅に突き進んでいたかもしれない。
愚かな人間が巣食うこの世界はいつだってそんな危機に満ちている。
その数多の危機の一つを、文字通り、とても直接的な意味合いで「映画」が救ったという事実を、映画ファンとして愛さずにはいられない。
そしてその映画を生み出したのも、愚かな人間であるということに、ほんの少し勇気を貰え、何とか明日も生きていける。