74.うーん。最初のスカーレット・ヨハンソンのお尻は良かったんだけどなあ。何か、短編映画でも良かったものを日本のエキゾチックな映像(外国人にとっての)とホテルでウダウダする二人のシーンをダラダラ入れて無理に普通の映画の長さにしたという感じ。それにソフィア・コッポラの経験が相当反映されているらしい登場人物二人も、要は家族もいて本来なら幸せな筈なのに何だか不安で自分の居場所がない感じって事でしょ?そんなん、寂しいモン同士で傷を舐め合ったって解決しないぞ。ちゃんと自分の中の「孤独」と向かい合わなきゃ、と画面に向かって説教したくなってしまった。あと、映画に登場する日本人の描写に関しては別に文句はないけどさ、そこで切り取られた日本の風景がいかにも「大都市TOKYO」なトコといかにも「エキゾチック・ジャパーン」な京都ってのがなー。どうせならあんなお洒落ぶったストリップバー(?)とかカラオケボックスとかじゃなくて、浅草ロック座とか新宿ゴールデン街とかに行けば良かったのに。確か上野の方には外国人バックパッカー用の安い民宿とかもあるし、そういうところの方がよっぽど刺激的でスリリングだと思うぞ。ま、良いけどさ。あ、そうそう、意地悪なアメリカ人に「どうして日本人はLとRの区別ができないの?」と言われたら「言語にはそれぞれ発音の体系というものがあって、それから外れた発音の仕方はなかなか体得できないものなのですよ」と丁寧に教えてあげるか、それがメンド臭かったら「アメリカ人だって“カラオケ”って発音しないで“キャリオーキィ”って言うじゃん。あんまし自分たち中心で物事考えてると、知らない内に嫌われるぞ」と言ってあげると良いと思います。 【ぐるぐる】さん 6点(2005-02-11 17:38:28) (良:1票) |
73.書こうと思ったことの多くが【GO】さんのレビューに書かれていたので、こそっと良票を入れて終わっておこうかと思ったのですが、やっぱりちょっと書いておきます。 日本人もアメリカ人も、東京という街に「孤独」をイメージするのは同じなんだな、と思いました。日本に住んでいる者だけが象徴的に感じるイメージではないんですね。そこに米国人が持つ「英語は世界の公用語」という暗黙の認識が重なって、孤独が増幅する。ここでなければ出会わなかっただろう二人は、他に誰もいなかったから惹かれたのだろうし、お互いにそれがわかっている悲しさがある。でもたしかに好きになっていった。人間はみんな言葉を喋るけど、それは万能じゃない。思いを言葉に置き換えるときに、複雑な意味は失われる。この映画も、構想から映像になるまでに、きっとたくさんのロスト・イン・トランスレーションが起こっているんだろう。ラストシーンの言葉なき抱擁が、きっと一番観客に伝わっている。 【337】さん 6点(2005-02-03 20:44:08) |
72.いつも歩いている風景(新宿や渋谷)なのに、まるで知らない世界のように見えた。東京という都市を「外国人の目」というフィルターを通して見ると、こんな風に見えるのかも。ここに出てくる日本人は確かに日本人で、変な日本語を話すアジア人ではない。街並みもちゃんと撮影していて、どぎついネオンでさえ本物で、どこかのSF大作で使ったような「へんな大手町」じゃない。東京を演出する姿勢は、おそらく今までのどの映画よりも熱心で忠実かも。だけど、そこにいる人たち(日本人)は奇異で、「まあこんな人もごくごく一部にはいるかも」という人たちばかりだ。確かに東京だけど、淫靡でダークなイメージが強く、個人的に好感が持てない映画だった。ストーリー?そんなものどーでも良いくらいつまらなく、風景が東京でなくよその国だったら、途中で観るのを止めたかも。 |
71.日本と日本人の描き方に異を唱える必要は全くない。誇張と言うよりは受ける印象の度合いが違ったり、多少の誤解ってものを含んだ表現だろうから。そこを享受する必要も全くない。ただ、初っ端は戸惑います。どこまで真面目にやってんだ?ネオンのチョイス、演出と通訳、おばちゃんなコールガール、007ネタは面白いんだけど。テンポの違いは分かるし、孤独も多少は共感出来るんだけど決め手に欠ける。内面を描ききる訳でもなく終始、中立で中性的で抽象的。そこをセンス良しと取るか、無難にまとめたと取るか。ストーリーも演出も冒険せずな感は否めず、したがってぼくは断然後者です!日本が舞台でなければ全然違った感じ方出来たと思うし、異国の地に同じ疎外感を抱く二人の、友情ともほのかな束の間の恋路とも付かない心の揺れとその顛末をストレートに体感出来たかもしれない。現にアメリカなどでは、日本語に字幕を付けずに疑似体験的な見せ方をしてるとか。生憎、言葉も文字の意味も分かってしまうんでねぇ~、残念!! 【れこば】さん 6点(2005-01-29 22:12:11) |
70.どんなに贔屓目に見ても盛り上がりに欠けるし退屈だった。私からみると刺激が足りない。主人公の孤独がゆるすぎる。 コッポラが日本に気兼ねして作っていることがありありと見えた。日本の汚さをもっと出してくれたら賛否両論はあるだろうが、評価はもっと高かったはず。 じゃんじゃんすき放題にやってほしかった。 無謀な若さがもっと欲しかった。 【花守湖】さん 3点(2005-01-25 20:22:18) |
69.切なく淡い恋物語。ひと時だけの秘密の恋といった感じでしょうか。しみじみしちゃいました。キャストも素晴らしい。 【Andy17】さん 7点(2005-01-24 23:36:40) |
68.退屈だったけど、やっぱりパークハイアットに泊まってみたいなぁ なんて思ってみてました。インテリアとか。 東京ってあんまり絵にならないなぁとか・・・自分が日本人だからかな。 あれがストーリーというのならば、私にはなじめない映画なのかもしれません。 【ckeru】さん 4点(2005-01-24 18:12:25) |
67.いつかは面白くなるかもしれない、ととにかく苦痛に耐えた100分間。最後まで心に響くことなく、むしろ不快感だけが残りました。アメリカ人の傲慢さはよく描けていると思います。アメリカ人皆がそんなのだとは思いたくはないのですが。久しぶりに、早々に記憶から消去したい、と積極的に思った作品でした。 【HIDUKI】さん 2点(2005-01-24 12:28:42) |
【tantan】さん 4点(2005-01-20 08:38:26) |
65.う~ん、サントリーと三千里薬品のタイアップ?この手のものは久しぶりに観ました。馴染みのある風景が次々と出てきたのは楽しめましたが、独特の間というか、行間を読むというか・・疲れた。カワイらしい女の子と、中年2人の優しい時間の中での素朴な交流が伝わりましたが、僕はあのハリウッドギャルのほうが好きです。 【★ピカリン★】さん 4点(2005-01-17 10:05:59) |
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64.ビル・マーレイはなんで一人で来たんだろう。CM撮影ってそんなもんなのかな?日本にきたら接待攻勢で暇な夜なんか無いように思われるけど断ったのか?なんて、どうでもいいことばかりが頭の中をよぎるほど退屈な映画だった。 【北狐】さん 1点(2005-01-16 20:56:30) |
【k】さん 4点(2005-01-16 11:25:45) |
62.異国の地で、話す相手もなく、ホームシックになった父親と若い娘の孤独感の中で、結婚すれば家族と呼べるのか。結婚生活が長く子供がいれば家族なのか。ファミリーとは何ぞや?ってことなのかな?とは思ったけど、結局のところ、「パパに認められたいよぉ」っていう、ソフィアのファザ・コン映画に見えてしまう。個人的感情も映画の感想と認めてもらえるなら、こんなところで、反抗期に摘み食いした昔の男の名前なんか出すなよなぁ。何考えてんだ、この女!!と、思ってしまったよ。映画に描かれていた東京観、日本人像は、別に奇異には映らなかった。バラエティ番組の中には、もっと変で騒々しいものが実際にあるし、多忙な亭主に連れられてニューヨークのホテルにポンと置き去りにされたら、きっともっと悲惨だろうしさ。むしろ、どなたかが書かれていたけれど、彼女の行動力は立派。というよりは、やはり、アメリカ人は一番偉い、私は戦勝国の人間なのよ的潜在描写なのかな。だから日本なんだろうね。自作自演の介入戦争で、唯一成功した国だもの。だから、まあ、しょぼ映画ではないけれど、ムッとした作品よね。 【由布】さん 3点(2005-01-07 23:42:30) |
61.二人の姿をみていると、彼らがなじむことができないのは異国の文化に対してだけじゃないんだな、と思った。「家族から必要とされていない」と感じているボブと、理解のない夫との関係に疲れているシャーロット。子供は電話に出てくれない。妻は「忙しいのよ」とか「あなたの心配をするべき?」とかしか言わない。ボブの寂しさをわかってくれない。夫は妻が苦しんでいるのは知っているはずなのに、彼女の話を聞いているはずなのに、その気持ちが伝わらない。二人の言葉が届かないのは日本人だけじゃない。たまたま出会った二人の間にはたいしたドラマなんて起きないけれど、お互いの孤独への理解が、ほんの少しだけ二人の心を通わせる。タクシーを止めてシャーロットの元へ向かったとき、ボブは二人が結びついた時間がささやかではあるものの、かけがえのない価値のある時間だってことに気づいたんじゃないだろうか。たとえ日本じゃなくても、二人には安心できる場所、迎え入れてくれる人がいないのかもしれない。ラストに抱き合えたことはちっぽけな奇跡で、あんな瞬間があるからみんな寂しさに押しつぶされずにいられるんだと思う。人の心は外国よりもずっと遠いところにあるから。 (日本の描写が不公平なことはみなさんのおっしゃるとおりだと思いますが、自分には許容範囲でした。たまに日本のマンガに出てくるアメリカ人に、「ダジャレみたいな寒いジョークをとばして一人で笑っている」キャラクターがいますから、マシューの扱いも仕方ないかも、なんて。偏見もお互い様なとこがあります。) 【no one】さん 7点(2004-12-26 06:20:50) (良:4票) |
60.別に東京が舞台じゃなくても、異文化を感じれれば何処でも良かったって事だよね。なんで通訳がカタコトなんだ? ラブストーリーの方は、あっさりシンプルでまぁ良いんじゃないかと。 |
59.アカデミー脚本賞を受賞したっていうことですけど、正直言ってこの話の何が評価されたのかよくわかりませんねぇ。おっさんが異国で若い姉ちゃんにちょっと惹かれたってそれだけでしょ?ラブストーリーというよりは僕はコメディとして楽しみましたよ。ちょっとした違和感がいちいち面白くて、、、。それにしても、「風をあつめて」は名曲だよね? 【あろえりーな】さん 6点(2004-12-17 22:53:38) |
58. 日本を描きながら実はアメリカ人の身勝手さを描いた映画としてなら評価できる。少々の日本滞在でさびしんぼになってしまった二人の少女趣味な話。かなり脱力。君たちもう二度と海外旅行はするなよ。日本人描写は正確なようでいて根底のところは”ガン・ホー”と大して変わらない。結局たくさん日本人は出てきても一人も人間扱いされてませんね。パチンコ屋の騒音や、けばけばしいネオン、といった環境の一つ、オブジェとして大勢の日本人が動きしゃべる。まあ、そのほうが二人の孤立感は際立つのは解るけど。病院でのシーンでひたすら日本語で話す受け付けのおじさんや、医者。あんな気骨のある日本人はいないよ。”LとRの区別できない”東洋人なんていまさら・・・。そんな事面白がるの?不思議?普通文脈から判断できてコミュニケーションとれるよねえ。ああいう描写を見て、”ああ日本人て恥ずかしい”と思う日本人が恥ずかしい。身振り手振りでコミュニケーションを取ろうとするばあさんは自然で良かったが、監督の意図とは別に二人のアドリブに任せて撮ったらなんとなく面白かった的な感じがする。そういう役者まかせの部分が面白いだけで、監督の決めた部分は陳腐、(実際のところは分からないが)というイメージがある。まだ”キル・ビル”や”ブラック・レイン”の方が愛情が感じられる。自分の価値観にあわないモノは全て変と決め付ける俺様アメリカ的な発想、旅行前に”旅行に使える○○語”みたいなのを必死で読む日本人と全ての人間は英語を話せるべきという価値観のアメリカ人の差、がこの映画に満ちている。外国に行ったら普通自国語は通じない、という概念はないのね、普通”お、案外英語しゃべる人いるじゃん”くらい思うがな。別に日本でなくても明らかに異文化ならどこでも良かったのだろうなあ。ソフィア・コッポラは完全なアメリカ人なのだろう。”アメリカはいい国です・・・。”というセリフで始まるゴッドファーザーを撮った父、どうなのよ。いろんな意味で物悲しくなった。この映画がもし70年代~80年初期くらいに作られたものだったら物凄い傑作だったのかもしれないが、映画というものは少なからずその時代を象徴するものだと思う。このご時世、各国の対米感情というものを考えると全く無頓着な映画としか言い様がない。要は嫌いな映画だな。 【GO】さん 2点(2004-12-15 22:00:52) (良:5票) |
57.けっきょく、主人公二人の孤独が、異国の地でつかの間に交差したさまを切り取った映画ってことでいいのでしょうか? でも「異国」としての日本は、最後まで、主人公たちと交わることなく、「異国」のまま。じゃあ、日本じゃなくてもよかったんじゃないか・・。<以下DVDにて再見>西洋人には「クール」に映るであろう「東京」を舞台にしたソフィア・コッポラのあざとさというか、計算高さは好きになれないし、彼女の「日本好き」というのも、きっと(ソフィア的には)センスのいい「日本のお友だち」が好きなだけなんじゃないのか? 劇中で、日本の友だちと遊ぶシーンも、そのへんを見せつけられているようで気分が悪かった。ソフィアには本気で「異文化」と格闘するつもりなんて、はなからなかったのでしょう。主人公二人をめぐっては、いいシーンがたくさんあっただけに、そのへんの覚悟のなさが残念。この映画の収穫は、やっぱりスカーレット・ヨハンソン! いい女優になったなあ・・・。 【ころりさん】さん 5点(2004-12-15 17:17:19) |
56.外国人の視点からみた日本というものは、これまで映画化されたものでは、少なくとも私がみた中では、どれも首をかしげるようなものばかり、というのが率直な感想でした。というのも、いわゆる日本のよいところ(具体的に言うと話がズレそうなので割愛しますが)というのが描写されていない、のではなく、反対のよくないところがおよそ的外れ、行き届いてないこと。このことの方が、日本をロケーションする外国人の浅はかさを私に映し出すものでした。 ロストイントランスレーションは、この辺が非常に上手いと思いました。監督・脚本を手がけたソフィアコッポラの東京のイメージ、とりわけよくないところの描写が私が思い描く東京にかなり合致したものでした(こんなことを言うと愛国者ではないなと言及されてしまいそうですが)。おそらくこの映画を御覧になった日本人の方の多くは、若干の嫌悪感を抱くかも。たしかに藤井隆はないですね。でも私のようなチャキチャキの日本人にもかかわらず、全編通して痛快で仕方がなかった、という方も少なからずいらっしゃると思います。この辺が分かれどころで面白いですね。 この作品はマイブラッディバレンタインのケヴィンシールズが楽曲を提供してます。他にもエール、ジーザスアンドメリーチェイン、デスインヴェガス、フェニックス、ハッピーエンドなどなど(カラオケで歌ってる曲はおそらくロキシーミュジック)ヨーロッパの、特に英国のロックファンにはたまらない曲のオンパレードです。 エンディングのジザメリ、ケヴィン、ハッピーエンドのつなぎもいいですね。個人的にはケヴィンに曲を作らせただけでも賞賛の気持ちで一杯っス。 【ノマド】さん 9点(2004-12-13 21:38:59) |
55.日本人としてはちょっと違和感のある描写もあったけど、東京ってこんなところかもと共感できるところもありました。日本人はいかにも「外国人から見た日本人像」だったけど。愛のことばはないけれど、惹かれあっていく二人がリアルでした。 【ジョナサン★】さん 7点(2004-12-09 20:27:54) |