34.《ネタバレ》 ローランドエメリッヒ監督の過去の作品を列挙すれば分かることだが、
全体的に「極限状態での人間」を力点に置いた映画作りが多い。
本作もしかり。監督の伝えたいメッセージはシンプルで、
「極限の状況に追い込まれてもなお人間に残っているモノは何ですか」
「生きることよりも大切なモノはありますか」
という問いだと思われる。
妥当な解答は愛とか家族とか希望であることは、この映画を見なくとも簡単に想像できる。
これは人間の尊厳であるが宗教的な価値観が多分に含まれる内容でもある。
しかし終末が近付くにつれ現代にはびこっている幻影はことごとく打ち砕かれるのだが、
なんと驚くことにこの幻影の中に一般的な宗教観の「神」が入っており、
逆に幻影かと思われていた「現代社会」が幻影ではなく最後には人類に救いと希望を与えたのである。
ここである論理的な思考をしてみる―――。
もしある宗教的な教義が世界的に実践されていたならば、
現代の科学力は間違いなく質素だと思われる。
宗教的な神を否定してたアインシュタインの相対性理論は生まれず、
その影響と功績で確立した量子論や素粒子物理学も実用性は皆無であったはず。
言うなれば現代のIT社会は訪れなかったのである。
となると2012年で起きるカタストロフィは映画のようには回避することができず、
人類滅亡は必然であり換言すれば「神が望んだ」シナリオそのものである。
しかし映画では宗教の英知を包み込んだ人類の英知が神の作った宿命を跳ね除けたのであった。
だから私はこの映画を見て「神は死んだ」とニーチェの言葉が喚起され、
願わくば映画の最後で「夢オチ」に似たフィクションの中のフィクションを求めたが、
監督はこれまたニーチェのように「力への意思」を訴え、
「徹底的に運命を受け入れ今ある生を肯定せよ」と「超人」になることを観客に提示するのであった。
人類滅亡の危機を神に救われることなく自力で生き抜いた人間達の宿命は、
究極の自己責任のもとで希望ある未来を創造することではなかろうか。