1.《ネタバレ》 この映画には重大な欠点がある。話の核に凶悪少年犯罪を持ってくる以上はどうしたって社会派映画として、まず、描かれなくてはならないはずなのだ。しかしこの映画は社会派映画としてはあまりに甘く、そして弱い。息苦しく痛ましいまでに厳正でストイックな描き方に徹した『デッドマン・ウォーキング』のような映画と比べれば、その差は歴然だろう。『BOY A』は主人公ジャックの心やさしい人間性にふれる描写ばかりをたんねんにくりかえしながら、殺される少女はわずか10才にして不純と悪態のかたまりのような存在として描く。さらには殺害の経緯や、彼がどこまで事件に加担したのかなどといった、彼に分の悪い核心はことごとく省かれてしまう。どの国においても他人ごとではない、のっぴきならない問題を提示しておきながら、たとえば日本における酒鬼薔薇などには該当すべくもない特例のような少年像を打ち立ててしまう「逃げ」は、反則以外のなにものでもない。しかし、なのである。そこまで徹底してジャックを現実社会における我々の偏見や先入観から切りはなしたおかげで、この映画の青春映画としてのもう一つの側面が、まぶしいばかりの輝きをもって胸に迫ってくるのもまた、事実なのだ。巣立ちをむかえた雛鳥のようなジャックの姿を、映画は丁寧に切りとっていく。たとえば友だちができること。友だちとクラブで踊り、酔っぱらうこと。遊園地に行って笑い転げること。ビールを片手にたまには真剣に友情を誓い合うこと。恋人ができること。恋人とデートすること。本来ならば空白の時間に当たり前に起こるはずであったそんな他愛のないありふれた青春の光景の一つ一つを、はじめて触れるものとしてまぶしそうに恥ずかしそうにそして何よりうれしそうにかみしめる彼の笑顔は感動的だ。画面は自然光に満ちている。父親がわりのソーシャルワーカーからナイキのエスケープを贈られる冒頭から一貫して彼には柔らかな光が差している。それはまるで神の赦しを表しているかのようにとてもやさしい。人間社会の不穏に反して。まぶしい夢がある日突然終った時、塵のようにあっけなく吹き飛ばされて行く彼の姿が胸を貫く。総武線から見るディズニーランドしかり、遠まきに眺める遊園地はなぜあんなにも荒涼としていて、そしてさびしいんだろう。致命的な欠陥をもつ、けれどたまらなくいとおしいこの映画を愛していこうと思う。