1.ケイト・ブランシェット。現役俳優の中で最も「大女優」という呼称が相応しいと言ってもはや過言ではないだろう。
十数年来この大女優の大ファンで、彼女の出演作品を長年観続けているが、今作がキャリアNo.1の演技であったことは間違いない。
その演技を引き出したのが、ウディ・アレンである事実に、やはり“女優づかい”においてこの女好き監督に敵う者はいないと思い知る。
この映画は、喜劇だろうか、悲劇だろうか。
高慢と虚栄の果てにすべてを失った主人公ジャスミンの言動は、愚かで滑稽だ。その姿には、思わず笑わずにはいられない。
ただし同時に、栄華の極みからド底辺まで叩き落とされた彼女のさらにその先の顛末は、生き地獄そのもの。その姿には、思わず胸が締め付けられる。
詰まるところ、この映画は、喜劇であり、悲劇だ。
ありふれた言い回しを敢えて使うなら、人間の人生は悲喜劇そのものであり、描き出されるそれが生々しければ生々しいほど、喜劇と悲劇は同封されるのだろう。
主人公ジャスミンは、サイテーな人間である。それは間違いない。
けれど、だからといって彼女は「悪人」だろうか。彼女の人生を簡単に断罪できる人間が、この世の中にどれほどいるというのだろうか。
多かれ少なかれ、誰にも「虚栄心」はあるものだ。「嘘」は人間が自分を守るために許された特権かもしれない。
「サイテー」と蔑みつつも、少なくとも僕は、彼女のことを真っ向から否定することができなかった。
「栄枯衰退」なんて言葉にすれば簡単だが、それを己の身一つで体現することは生半可なことではない。
今作の“大女優”が素晴らしかったのは、栄華を極めた過去のシーンも、落ちぶれた現在のシーンも、一貫してメイクや衣装を変えずに、「虚栄」に埋め尽くされた女を演じきっていることだ。
同じ衣装やメイクが、ほとばしる鬱積とともに、みるみるくたびれ、劣化していくようだった。
「演じる」というのは、こういうことかと身が震えた。
監督の非情さを呪いたくなるくらいに、ラストはあまりに辛辣だ。
ただ、そのラストがまた主演女優の演技ともども素晴らしい。