8.《ネタバレ》 身内の死を経験した家族の悲しみ・苦しみと再生というテーマに真摯に向き合い、ほぼ完全な形で描かれている。
過去のアカデミー賞作品賞受賞作の中では極めて地味な作品だが、これこそ本物の傑作といえる。
他人の「笑う」という日常的な行為にさえ、苛立ちを覚えてしまうほど極めて繊細な仕上がりとなっている。
水泳部の仲間が(冗談半分に)せっかく声を掛けてくれたのに、コンラッドがぶん殴らざるを得なかった理由が痛いほど伝わってくる。
闇に落ち続けるような苦しみを抱えているのに、平気で笑っていられる奴らが許せなかったのだろう。
普通に平気で笑っている奴らと一緒に居ることすら苦痛や苛立ちを感じざるを得ない苦しみが見事に演出されている。
理不尽な怒りなのはもっともだが、本当に苦しい人の痛みとはこういうところにもあるのかもしれない。
悲しみを克服する家族の対応は三者三様だ。
母親は事故のことを忘れて“普通”でいたかったのかもしれない。
息子は事故のことを忘れることができず“普通”でいることができなかった。
父親はその中間の部分で苦悩している。
悲しみを簡単に克服する方法には、答えはなく、難解なものだ。
三者の対応が別れるというのも、見事なものであり、普通の映画らしい単純さは感じられず、奥深い作品に仕上がっている。
苦しみから逃げ続けることは何の解決にはならず、家族や友人と向き合い「苦しみ」を分かち合うことこそ解決の糸口なのだろうか。
結果的には、息子同様に父親もやはり“普通”でいることができなかった。
シャツの色を気にするような母親の冷静さには我慢できなくなったのだろう。
通常ならば、コンラッドが母親を抱き締めたところで、母親が折れてハッピーエンドになるのかもしれない。
しかし、母親は抱きしめ返すことはなく、家を飛び出すというラストはさらに考えさせられる展開であった。
“傷”は癒すことはできるかもしれないが、“傷痕”自体はどうしても消えない。
壊れたものは、完全には元には戻せないことをきちんと描かれている。
偽りの甘い世界よりも、より現実的な世界を描こうとしたことの結果だと思う。
この点においても評価したい。
しかし、コンラッドや父親も苦悩したが、母親も彼女なりの苦痛を感じていたのだと思う。人間はそれほど単純なものではない。頭では理解できても、心では理解できない部分を人間はそれぞれ抱えている。