2.アメリカで初めて創られた190分もの作品であり、その中には戦争、人種差別、思想など様々な濁流が流れている。
後の「風と共に去りぬ」の骨子がこの映画に詰まっているのだ。
この映画の場面場面で数多く出てくる「絞り」のように、小さな点が大きな光の塊となっていく。
アメリカの南と北、二つの名家にて起こる恋愛、戦争、死の物語を当時のアメリカ社会のうねりと共にドキュメンタリー風に描く。
映画史上初めてのオリジナルの音響、燃え盛る街を背後に逃げ惑う民、強烈なフラッシュ・バック、印象的なカットの繋ぎなどなど・・・一つ一つの場面の完成度。
1890年代終わりのリュミエール兄弟作品、1903年の「大列車強盗」、1910年の「月世界旅行」、そして1915年の「国民の創生」。
前半30分の登場人物の相関、南北戦争の激戦、後半における数々の死と「KKK」の設立、新たなる闘争の決着・・・密度のある映画だ。
ストーリーの流れや演出は文句なしに素晴らしい。
だが、だがである。
リンカンは何故暗殺されたのか。
それは黒人の現状と痛みを理解し、そこに共鳴したからこそ彼らを開放するために戦い、そして殺された。
後のキング牧師やマルコムXたちがそうだったように、肌の色ではなく、心で理解できたからこそ彼は戦ったのだ。
黒人の解放運動、キャメロン家と共に戦う黒人の女性を描いた点は良かった。
ただ、黒人への恨みをそのまま黒人に返す事を目的とした「KKK(クー・クラックス・クラン)」を英雄として描いた部分は残念でならまい。
これこそ正に「面白ければそれでいいのか?」という映画なのだ。
白人に蔑ろにされた憎悪。
その憎悪が白人に向けられ白人を殺す。
そして黒人に家族を殺された白人の憎悪が「KKK」を産んだ。
だが、「KKK」はあくまで黒人への憎しみをたぎらせた組織であり、それが「アメリカ」という国を造り上げたわけではない。
リンカンが死ななければ南北の統一も無かったし、黒人奴隷の苦しみが無ければリンカンが戦い暗殺される事も恐らく無かっただろう。
その憎しみの連鎖が黒人差別の要因である筈なのに、この映画はそれを疎かにしてしまっているのだ。
黒人の苦痛を細部まで理解出来なかったグリフィスの詰めの甘さだけは惜しい。