5.《ネタバレ》 愛は、無上の幸福と引きかえに胸の奥底に漠とした不安の影を落とす。愛とは常にその内部に愛するものを失う不安を胚胎させるものだからだ。フランソワ・オゾンは私たちが持つ絶対的なその畏れを、主婦マリーにある日突然訪れる出来事として、具象する。事件なのか事故なのかあるいは生きているのか死んでいるのか、それすらも不明なまま突きつけられる耐え難い喪失。愛する夫はあとかたもなく目前から掻き消え、そこにあるのは、確かに二人で存在したはずのその場所にただ一人立ち尽くすばかりの、愛にとり残された者の姿だ。残酷なのは、対象が奪われてもなお愛のもたらすその絶対なる不安だけが、否応なしに抜け殻のようなマリーを支配していくことだ。知り合った男と軽率に同衾しながらも情事の途中で笑いだすマリー。「あなたでは軽すぎる」気がふれたわけでも男の小柄な体を馬鹿にしているのでもない。彼女はただ、喜ぶのだ。長年連れ添った夫の重みを実体験として記憶する自身の肉体を、そして最愛の夫の確かなその痕跡を。たとえ相手が夫に似た体躯の男であったとしても、彼女はどこかしらに彼との差異を見出だし、言うだろう。あなたではないのだと、あの人でなくてはだめなのだと。マリーが求め見つめる先にいるのは、まぼろしとなった夫、ただ一人なのだ。失われた愛の上でそれでも機能し続ける彼女の異形の貞淑が胸をえぐる。愛は美しい幻想であり、また醜い強迫観念でもある。そんなふうに確固たる幻想に生きることで愛にすがろうとするマリーを、今さらのように直面する夫の死体が、さらには義母の語る見知らぬ夫の姿が、容赦なく現実に引き戻す。堅固に築いた幻想も強迫観念も、砂上の楼閣のようにガラガラと音をたて崩れ去り、そして彼女は知るのだ。身も心も捧げ信じ抜いたその愛が、どれほどにあやふやで不確かなものだったかを。そしてその愛こそが、まぼろしであったと。マリーは幸福に思えた人生の意味の大半を失い、喪失のかなしみだけがただひたすらに、まぼろしではない本物として、打ちひしがれた彼女に実感を与える。全身を貫くその痛みを受け入れることで、けれど彼女はようやく真実を生きるのだろう。砂浜を駆けだすマリーはまるで瀕死の野生動物のようだ。満身創痍でありながら、その姿は気高く美しい。よたよたと頼りなく、けれど最期まで生きることをあきらめぬその足取りで、彼女はまぼろしの彼方を目指すのだ。 【BOWWOW】さん [DVD(字幕)] 9点(2009-10-03 20:27:26) |
4.まだ若いのもあって私には大切な人を失った経験がなく、その痛みは想像もつきません。夫の失踪を受け入れられず、幻想で何とかバランスを保つ妻。それでも否応なくつきつけられる現実が幻想を少しずつ打ち壊していきます。そして終盤の彼女が泣いているシーンで、夫の死を受容して終わるのだなと思いきや…あのラスト。いったいどう解釈すればいいのか…幻想に逃げた哀しい結末だったんでしょうか? それにしては圧倒的に美しい光景で、けっして陰鬱なシーンではありませんでした。 ところで、私は『ポネット』のような作品が嫌いです。「お母さんはあたしの心の中で生きている」と言って立ち直るのですが、ずいぶん妙な理屈だし、そもそも喪失の痛みってそんなに生易しいものでしょうか。もしかしたら、一生その痛みが癒えることはないかもしれない。思うに、愛する人を失って生きていけるか?と問われてはっきり答えられる人は少ないでしょう。だからこそ、曖昧なラストでよかったと思います。答えは一人一人の胸の中にしかないからです。それに、彼女が現実を選んだにしろ幻想を選んだにしろ、あそこまで人を愛することができたということ自体、奇跡には変わりありません。どんな解釈をしたとしても、あの海の美しさは誰にも否定できないでしょうから。 【no one】さん 9点(2005-01-23 05:20:52) (良:1票) |
《改行表示》3.何年か前に学生のころに観た。そしてまた今回観てみた。ラストの海岸での号泣は、きっと悔しさなのではないか。死んでいるとわかっていて、それを認めず、ずっと幻夫と対話していたということは、現実の夫(つまり死)に対しての無視。それをわかっててか見て見ぬふりかの後ろめたさ。で、夫の死体を見たとき、きっと普通にグロかったんだと思う。 ラスト、海辺のまぼろしに向かって走っていくが、少々追い抜いているようにも見える。深い意味があるかもしれないが、あれはただの、監督からいただいた彼女なりの救済だったと思う。 |
《改行表示》2.この監督さん、若いのになんでこうも女をわかってるんでしょう!そうなんです、実際はこういう心理状態なんですよ。。 これは、夫とそこそこ平穏に長く連れ添った中年女性なら、ほんと「あるある、わかるわかる」シーンの連続であったかと思います。彼女が笑う幾つかのシーン、朝食の様子、嫁姑、などはその一例でしょう。前半は、枯れてもなお美しいランプリング、後半は、老けたランプリングの表現が素晴らしかった。目の演技って重要ですね。悲しくて、ではなく、そうよそうよ、で何度も泣いてしまった。お若い女性にはぜひぜひ十数年後に観てほしいです。 【かーすけ】さん 9点(2003-11-13 23:00:40) |
1.長いブランクがあっての久々のS・ランプリング作品。彼女の「愛の嵐」での鮮烈なイメージが残っているだけに、正直観たくはなかった作品でもあった。確かに老いは隠しようもないが、しかしそれでもなお妖しい美しさと魅力を感じさせる彼女の圧倒的な存在感。そのぎりぎりに均衡が保たれた彼女の姿を見せることこそがが本作の狙いであり、映画の中で演じる中年女性が実生活での彼女とオーバーラップして、実に興味深い。子供はいないが、それだけに深い愛情で結ばれている中年夫婦。その愛する夫が突然目の前から消えてしまったことから、妻としての戸惑いと夫に対する不信感を、ランプリングは巧みで老練な演技力で見せきる。そしてなお夫を想いつづける彼女の姿には胸が熱くなる。上手に歳を重ねてきたと言おうか、老いと若々しさとが共存しているという不思議な魅力を放ち、見事なカムバックを果たした本作は、彼女の新たな代表作となったと同時に、真の大人の映画として近年の収穫だと言える。 【ドラえもん】さん 9点(2003-01-31 16:06:51) |