1.同性愛が犯罪に近い行為として非難される保守的な国でのストーリー。初老の司祭と若い司祭の二人によって運営されているカトリックの教会で初老の司祭は家政婦とできていて若いほうはゲイだという設定、もちろん教会は信者に頼られる全く普通の教会です。ローマ法王はこの映画の上演に反対したそうですが、アメリカで司教(司祭の上)を始めとする何人かのカトリックの聖職者が幼児愛で実際に告訴された時にはローマ法王は「こんなことするのはおまえらだけだ。恥を知れ!」と教会のイントラネットか何かで激怒の言葉を送ったことでしょう。神に使える聖職者が食べたり寝たりを別としてどれほど普通の人間並みの生活をしていいものかは昔から問われてきた問題で、ルネッサンス期には一時期、枢機卿(法王の下)以下に試験的に結婚(といっても内縁の)が許されていたそうです。でも教会の財産を着服したりするような者が妻子ある聖職者の中から出てきたりしてあまりいいことがなかったせいでカトリックの聖職者の結婚は結局禁じられたようです。ユダヤ教のラバイやプロテスタントの牧師は本質的には「教師」であり、清貧に徹する代わりに結婚は許されていますが、カトリックの聖職者はラバイや牧師とは大きく異なります。一般人がカトリックの聖職者のモラルについてとやかく言うのは簡単ですが、この作品を見ると、先輩の司祭の情事にはみんな薄々気づきながら目をつむり、また自分は精神的に苦しむ教区の信者を支えようと精一杯努力しているのに同性愛者として厳しく非難される若いグレッグ司祭の孤独がひしひしと伝わってきました。