《改行表示》6.ストーリーは破茶滅茶で、登場人物もブッ飛んでる。でも何故か憎めない。それどころか、いとおしくなる。 昔観て いい印象を持っていたけど、改めて観て やっぱりいいなあと再び楽しめた。 【くろゆり】さん [CS・衛星(字幕)] 9点(2020-06-09 10:37:33) |
5.おとぎ話には、常に善と悪、光と影、愛と憎しみの二つのバランスがある。例えばヘンゼルとグレーテル。主人公であり”善”であるヘンゼルとグレーテルは、たどり着いたお菓子の家で”悪”である魔女に出会い、さらわれて閉じ込められ、食べられてしまう危機に陥る。しかし、二人はお互いの知恵を振り絞り、見事に危機を脱出し魔女を倒し、最後は幸福な結末へとたどり着いた。もし”善”が無ければ、物語を読んでいく人々に希望を与える事は出来ない。そして”悪”が無ければ結末にたどり着くまでが非常に空虚なものとなってしまう。”善”と”悪”、どちらが欠けても物語は成り立たない。”善”があるから”悪”があり、”悪”があるから”善”がある。両方が常にバランスを保ち、両立しているからこそ、人々はおとぎ話に夢を感じることが出来るし、その結末に幸福を感じることが出来るのだ。・・・・・そう、だから人生は”おとぎ話”。人生だって、きっと”善”と”悪”の二つがあるからこそ、時に生きることの素晴らしさを感じることが出来る。人生の中に満ちている”悪”の部分を味わうとき、確かに辛くて辛くて仕方が無いだろう。きっと誰かはその辛さに耐え切れず”開いた窓”から人生を終えて自由を得たいと思うかもしれない(しかしそれは本当の自由では無いのかもしれないが)しかし、同じく人生の中に満ちている”善”のパワーは、そんな”悪”の持つパワーなど吹き飛ばしてしまう。”善”の持つ幸福なパワーは”悪”の持つ悪質なパワーには決して負けはしない。だからこそ人生は幸福なのだ。そう、まるで自分たちを危機に陥れた魔女を倒した、ヘンゼルとグレーテルのように。・・・・・俺は、生まれながらのネガティブ思考なので”開いた窓”から”自由を得よう”と考えたことが何度もある。俺の人生は、きっと開いた窓がいくつもあるのだろう。でも、きっと俺の人生の中にも生きていて良かった、と心の底から思える瞬間があるさ。イエス!俺は生きるよ。今は楽しくなくても”人生はおとぎ話”という事を身を持って実感出来るその時を、待っていたっていいじゃないか。I keep passing my open windows,because life is fairy tale!! |
4.不思議な作品ですね。私は好きですコレ。奈落の底へ突き落とされそうな重大な事件、事故が次々と家族を襲う。けれど日常のことのように淡々とあっさりと描かれ、残された家族は拍子抜けするほど、悲壮感なくそれらを受け入れていく。この家族は父親の影響がとても大きいように感じた。何が起ころうと次の夢に向かって生きていこうとするおとうさんがいい。家族ってやっぱりいいなあ、大切だなあという気持ちになるのよ。生と死がいつも一緒に存在しているこの世が遊園地を思わせるようなラストシーンね。爽やかに観終わりました。 【envy】さん 9点(2004-09-19 20:54:15) |
3.窓には、存在学的に互換性がある。窓は家の中に光を招き、同時に家から人を去らせる。これは現代神話だと思った。最初に父親は窓を開けた。窓からは時には祝福された光が差し込んだ。だけれど強い光は、それを浴びた者の後ろに強い影を作った。そして気付くと、入って来た以上に、何かが出て行っていた。失っていた。赤字と磨耗は止まらなかった。惨禍の中を行進する家族。馬鹿げた位に悲惨。待ち受ける未来にも保証も確証もない。なのに馬鹿げた位に悲壮感がない。続く行進。それはどこか、崇高ささえ感じさせた。この家族は、何かを飛び越えた所にいるのだと思った。それは達観かも知れないし、諦観かも知れない。きっと、私の知らない何かなのだと思う。哀しい形で絶対的に結束したその姿は神話的だった。神話は往々にして、自らに滑稽な悲劇を課すから。開いた窓がないと、人は生きて行けない。でも同時に、それは時に人を生かさない。この世界に生きることは、開いた窓の羅列する廊下を歩くことだ。窓には、存在学的に互換性がある。そのバランスの中を、人は生きて行かなければならない。 【ひのと】さん 9点(2004-09-18 00:20:03) (良:1票) |
2.《ネタバレ》 ウィーンとクマとレイプ、ジョン・アービングの3大テーマがここでも炸裂。彼の作品の中では常に、人生では喜びも悲しみも表裏一体、どちらも予想もしないタイミングで人々の前に訪れて、どっちも避けて通ることはできないんだよ、ということを冷徹なまでにはっきりと、次々に具体例を挙げて行く。一家と苦楽を共にして来た愛犬ソローの死は悲しみに包まれながらも家族の中で永遠に語り継がれる爆笑モノのエピソードを残し、新天地ウィーンを目指す家族の、重要なメンバーが飛行機事故によってあっさり命を落とす。たとえば母の死という、普通だったら物語のクライマックスに置かれてもいいようなエピソードまで、アービング作品では「日が昇った、沈んだ」といったレベルで語られる。そしてそれらの不幸な事件を列挙しながらなお、夢多き父親は次なる夢に向かうのである。それぞれが不完全さを抱えながら一個の家族として結束し、大きな力を発揮して行く。語り尽くされた理想論ではあるが、この映画が作られた当時、人々にとって最も見逃されていたもの、「社会」を構成する最小単位としての「家族」の一つのあり方を、人々はこの作品を通して再確認した。そして残念ながら、世の中でこの映画が必要とされない日はない。 【anemone】さん 9点(2003-11-30 13:28:54) |
1.観てよかった。長い間、ふつうの青春ものかなと思い、観ていなかったが、よい意味でそれを裏切ってくれた。ジョディフォスターの女性人気の秘密がこの作品を観るとわかる。そんな気がする。N.キンスキーもいい。くらくらするぐらいいい。粗っぽい、安っぽい、いいかげん、でもだからいい。人生の肌合いとパワーを感じてほしい。 【テーブルランプ】さん 9点(2003-11-25 01:10:56) |