1.カール・テオドア・ドライヤーは、この作品で人間の精神世界を描こうとしたのかも知れない。かつてロベール・ブレッソンが「スリ」で精神的な世界を造り上げたように、ドライヤーは映像を二次元的な世界に閉じ込めてしまう。いや、三次元から二次元の空間に抜け出したといった方が正しいのだろうか。
「吸血鬼」は白黒画面で壁の白さを引き立たせるために、壁をピンク色にしたという。
ドライヤーが映画を撮る時は、壁や自然といった“空間”から構築していく。
この作品の壁の白さも、異常と言って良いほど白い。この世に存在しないんじゃないかというくらい。
土には土の色があるが、人間で言う“精気”がこの壁にはまるで無い。
壁の白さも不気味だが、劇中の登場人物たちも記号のような存在だ。
感情のかの字も感じられない空間、そして耐え難いほどの緊張で貫かれた画面。ドライヤー一つの境地。