1.《ネタバレ》 「生きる」と同工異曲。、、、、、つまり、庶民的な小悪が、どう変化して、美しく、正しい人生が送れるようになるのかを主題としている。「醜聞」では、娘の死が契機であり、「生きる」は自分の目前の死が契機であった。→何かを生け贄として殺さなければ、人間は変われないという発想も共通。、、、、さらに、冬という季節の設定、喫茶室の「蛍の光」「ハッピーバースデー」の使い方も類似。また志村喬の、言い出したいのだが、本心で抱いていることがなかなか言葉にならないという演技も同じ。、、、、、なのに、「生きる」は多くの人の共感を呼ぶ一方で、「醜聞」はあまり省みられないのは何故だろう。、、、、、それは「生きる」の公園のブランコシーンがあまりに印象的だからだろうか、あるいは「生きる」の志村喬の方が美しい存在に見えるからだろうか。、、、、、でも僕は、この「醜聞」の志村喬の方が、「生きる」の志村喬よりも好きだ。なぜなら、僕たちの日常により近い存在に見えるから。、、、、、自分はウジ虫だ、だめな人間だと考えていながら、なかなか変わることができず、「蛍の光」を歌っても、結局変われない。、、、それはああしたい、こうしたいと決意した積もりでも、ままならない自分たちの姿に重なる。、、、もしかしたら最後まで変われないのではないか、そういう展開もありなのかと思って見ていると、最後の法廷シーン。、、、一瞬の良心の輝き。、、、この瞬間的な美しさを見るためだけに、それまでのストーリーは展開している。