19.《ネタバレ》 00年代、実際の出来事を“告白”でもするかのようなドイツ映画が複数撮られた。
一つは「ヒトラー ~最期の12日間~」によって戦時中を、
もう一つはこの「善き人のためのソナタ」によって戦後の闇を告白するように。
冷戦時代の尋問というとリシャルト・ブガイスキ&アンジェイ・ワイダによる「尋問」を何故か思い出した。
「尋問」は監視者が監視対象だった者から“証拠”をでっちあげ、自分のテリトリーに引きずり込んで散々痛めつける事で屈服させようとした。
この映画は、監視者が監視対象から“証拠”を引きずり出せるか出せないかという過程を追っていく。疑はしきは罰せよ、何かされる前に先手を打たなければならないという恐怖。
この二つの映画に共通する事は、一人の女性が他の人間のために“犠牲”になる事を選ぶということ。
劇中でも引用されるベルトルト・ブレヒトの存在。
ブレヒトもまた戦時下のナチスに反撥してフリッツ・ラングと組んだスパイ映画「死刑執行人もまた死す」を発表している。
ラングのこういった映画の女性たちが活き活きとしていた事に比べ、この映画の女性たちは観客の感情移入を許さないような深い闇を背負っている。
廊下、腕を捕まれ連れてこられる“監視対象”だった男。男の声からテープレコーダー→現在→過去を行き来する。
疲弊していく男の表情を知るのは立ち会った本人だけ、声を聞いて当時を想像するのは生徒たち、そしてこの映画のスタッフたちだ。
椅子に付着した“匂い”、涼しい顔で男を言葉によって弄り続ける男。教壇に立つ男は、自分の過去を隠すことなく、生徒たちに教えていく。きっと同じような“告白”を何度も繰り返してきたのだろう。
劇場の鑑賞会から既に監視は始まる。上からの視点・パンフレット。
標的の家に慣れた手つきで黙々と盗聴器とカメラを仕込んでいく。ありとあらゆるところに。
その監視者を“監視”してしまった者の視点。
この映画の監視者は、勝手に疑い、勝手に同情し、勝手に揺さぶられ、勝手に自分を緊張状態に追い込む。監視されている者は何も知らないし、生を謳歌している。知らない事の不幸・幸福。妻の隠す真実にすら中々気付けない。妻と楽しんでいる間も、情報は絶えず流れ続ける。
勝手にピアノの音色に心を打たれてしまうのだから。男の葛藤が表情一つで語られ、その音楽は監視される者たちの“抵抗”の証になっていく。
人の出入りが少ない“仕事場”で画面や針、タイプライターとにらめっこ、ヘッドフォンの音に耳をそばだてていなければならない。そりゃあ監視対象に興味を持って退屈しのぎもしたくなる。ハイタッチする気分でも無くなってくる。エレベーターで子供とおしゃべりをする一時、暇な時は豊満な情婦と楽しい一時でもせにゃやってられない。豊満なバストに顔をうずめても何処か満たされない様子。そりゃ監視者は人妻の方が気になるし、情婦とも真に仲良くなれない。偽りの愛だ。
その監視されている者たちが、監視者を意識し、恐怖し、反撃に出る瞬間の恐怖。スパイのように潜り込む男たちも、いつ監視者側を裏切る・・・いや表返るか解らない。
ケーキの下の“武器”、盗聴器への“祝杯”は監視者への宣戦布告。
監視者の存在を知りながらドアの鍵をかけない。床下の“武器”の存在を偽らないのも妻を信じていたから。
妻も夫を愛していたからこそ“言わなかった”し、“躊躇”しなかったし、耐える自信も無かった。監視者との決定的な違いがそこにあった。
床下を剥がす瞬間に奔る緊張。
一瞬映る新聞が物語る“終焉”、それぞれが失った物の大きさ。
ラスト20分は真実を知っていく者たちの顛末。
コードを引き抜く力なき姿、表情。大量の書類に眼を通し、人々の告白でも聞く様に読み進める哀しげな表情。
そこには互いを探り合った憎悪ではなく、直接会って語り明かす事のできない哀しみだけが横たわっている。