1.最初期のロバート・フラハティ(カナダ、アラン諸島)から、小川紳介(山形)、佐藤真(阿賀)等に到る傑作ドキュメンタリーの伝統的一手法が、腰を据えた共同生活による長期取材・長期撮影といえる。
社会派的なテーマ先行ではなく、あくまで生活者の日常に寄り添いつつ「人間」を活写すること。
勿論それは手法のみの問題ではなく、被写体との良好な関係づくりや映画的各瞬間を的確に捉える手腕と資質があってこそ画面は魅力を放つ。
とにかく全編通して素晴らしいのが学生たちの多彩な表情だ。時勢と題材、そして言葉の壁といった障害からして彼らの緊張感・警戒感を拭うには相当な困難があったろう。日本を舞台に韓国人監督が朝鮮学校に長期密着するという手法によって初めて撮り得た瑞々しい表情といえる。
周年の学校行事を中心にした生活の細部描写が積み重なる中、自ずと日本側の排他性というものが炙り出されてくる形になっている。
後半、北朝鮮に修学旅行に行く場面があり同行出来ない監督はカメラを学生たちに託すのだが、この学生たちの撮った画面もまた彼らの感動を直截に伝え素晴らしい。
出発の場面で、埠頭の監督達とフェリーの生徒達双方が手を振り見送り合うシーンが編集で繋がれる。撮る側、撮られる側に築かれた羨むべき信頼関係の発露が胸を打つ。