1.日が変わり、クリスマス・イブとなった深夜、この映画を見終えた。
妻子持ちのため、クリスマスというイベントに「恋愛」が直接的に絡まないとはいえ、この頃合いにこの映画を観たということには、アンバランスさを感じはしたが、もう一つ踏み込んでみたならば、逆にクリスマスのど真ん中で観てこそ、この映画の持つ激烈な味を骨の髄まで楽しめるのではないかとも思えた。
そういう風にこの映画を観て、発狂とカタルシスの絶妙の合間を行き交うという楽しみ方が出来る“ボンクラ男子”は、想像以上に世界中に溢れているのではないかと思う。
良い意味でも悪い意味でも、とんでもない映画であることは間違いない。
運良くどっぷりハマらなければ、糞味噌にこき下ろすしか観賞後の行き場を見出せない人が大半だろうとも思う。
非常にコアでマニアックな映画ではあるけれど、その映画世界がある意味においては普遍的な「青春像」に直結するのだから不思議だ。
この映画は、すべての“男子”がきっと経てきたであろう幼稚で情けない「落胆」と、それに伴う「自暴自棄」を、良識的な遠慮をすべてかなぐり捨てて描き出した“失恋映画”である。
僕はあの子のことをこんなにも愛して、信じて、尽くしてきた!なのにあの子は僕をあまりに簡単に裏切り、捨て去り、他の男に走った!もう何も信じられない!あの子も世界も自分自身も爆発して炎に焼き尽くされてしまえばいい!
という妄想を、程度の差こそあれ誰しもが脳内にめぐらせた経験はあるはずだ。
それは経験や時間を経れば、あまりに幼く滑稽で、恥にすら思える妄想だけれど、その時の「僕」にとっては、その妄想がすべてであり、その中に存在するしか無かった。
だからと言ってその妄想を実行する人はまず居ない。自分の脳内で極限まで行き着き、果てるのだ。
都合の良い自己完結ではあるけれど、その自己完結こそ幼稚でボンクラな男子が、ほんの少しずつ大人になっていくための通過儀礼であり、避けては通れない。
この映画は、まさにその通過儀礼の映像化だ。
その映画世界はあまりに強烈で毒々しく、現実と妄想が行き交うカオスに溢れているけれど、この「混沌」こそがすべての男どもの青春であったはず。
悪い夢のような映画を観た直後就寝し、本当に悪い夢を見て起きたクリスマス・イブの朝。
このインパクトはそう簡単には拭いされない。