1.《ネタバレ》 現実と劇中劇が交錯し、やがてある一点に収斂して行く。ただし、劇中劇はそれを読んでいるヒロイン・スーザンの視点によって具現化されている。それ故に終着点は彼女の望むところに落ち着こうとする。しかし、そこに至ることは叶わない。良く出来た心理劇ですね。
小説の主人公は作者であり彼女の前夫であるエドワード。別れる前に彼が書いていた小説も、彼自身の経験を書き綴ったものばかりだったから、スーザンが主人公にエドワードを重ねるのも当然です。ただし、劇中の主人公の妻はスーザンのようでいてスーザンではない。エドワードと別れ、別の人生を歩んでいた彼女にとって、劇中の妻に自らを投影することは出来ないのですね。勿論したくもない訳ですし。それでも心のどこかで燻っている後悔と自責の念が、劇中の妻と自らを似せてしまう。実に複雑かつ精緻な心理描写だと思います。
シンプルに考えれば、この小説を贈ることによってエドワードは、スーザンが自らの犯した過去の過ちを反芻し、今選択すべき道(それは希望へと続くもの)を見つけさせておきながら、彼女との再会を決して実現させないことによって彼女を絶望に導く。そんな救いようのない復讐の物語に思えます。
しかし、それではエドワードが偏執的な人間として描かれてしまいスーザンの歪んだ人間性と並立してしまう。彼が小説を贈ったことまでは現実でしょう。でも、そこに書き綴られている物語はスーザンが読み解いたものと合致するのでしょうか?スーザンの妄想とまでは言いませんが、彼女が詠み進むことによって彼女なりのフィルターが掛かり、物語の本質が歪められてしまっているのかも知れません。
いずれにしても、二人の再開は永遠に訪れないのでしょうね。もしかしたら、エドワードは自らの命を絶っているのかも知れません。
強烈なインパクトを与えてくれる冒頭の超豊満裸婦によるダンス。スーザンの脳内では彼女自身はあのような姿なのでしょうか?彼女自身が醜く踊り疲れて息耐えることを切望した故の表現だったのでしょうか?
ひさしぶりに結論の出ない、かと言って乱雑でとりとめのない物語ではない、良質なサスペンスを鑑賞しました。