1.《ネタバレ》 1967年の米映画でモロクロは珍しい。監督にはこだわりがあるのだろう。1954年の「雨の朝巴里に死す」 ではカラーだ。深い陰影の演出が印象的。窓を打つ雨の反射を顔に受けながら、最後の告白をする場面は特に印象的。煽情的にならずに抑えた演出は好ましい。◆刑務所仲間の二人ディックとペリーが合流して被害者の家に押し入るまでを描き、次は犯行後の場面となる。殺害の場面を謎とし、クライマックに持ってくるドラマティックな構成だ。観客は悲惨な結末を知っているので、背筋が氷るような恐怖を感じるという仕掛け。意地悪で切れやすいディックと親切で常識的なペリーならディックが発砲したのだろうと思わせておいて、実際はペリーが実行犯だったという意外さもある。徹底したリアリズムで絞首刑の瞬間までも描く骨太の映画。原作がノンフィクションだ。◆二人は囚人仲間のガセネタにより犯行に至った。本人はほんの冗談で悪気は無かったのだろうが、バタフライエフェクトで、最悪の結果がもたらされた。反省しているのだろうか、それとも懸賞金をもらってほくそ笑んでいるのだろうか。運命のはかさなを感じる。◆平和に暮らしていた被害者四人の様子、二人の殺人犯の生い立ちが丁寧に描かれている。観客は十分に共感できるだろう。二人は共に悲惨な境遇で育っている。特にペリーは酷い。母にも父にも見放され、養護施設で育ち、軍隊に入り、戦争により負傷している。死ぬ直前でも父親を憎んでいるという。愛しながらだ。彼らが犯罪に染まってもおかしくない。環境が犯罪を作るのは真実だろう。だからといって彼らを擁護は出来ない。自分の撒いた種は自分で刈らなければならない。◆テーマの一つに動機無き殺人がある。彼らは最初から殺人をする気だったのか?そうではあるまい。覆面用の黒のストッキングを探していたころからも分る。被害者の父親の言動がペリーの父親がペリーを殺そうとするフラッシュバックを生んだのが悲劇につながった。極度の緊張感と疲労で彼の精神が悲鳴を上げてしまったのだ。ほんのちょっとしたキッカケが悲劇を生む恐ろしさ。ガセネタが本当だったり、黒のストッキングが買えていれば違う展開になっていた。◆救いようのない冷血な犯罪。心根は優しい二人、死刑を下すのにも冷血にならなければならない。二重の意味で悲劇だ。命の大切さを透徹な精神で描ききった稀有な作品と思う。