1.サラが画廊として働いているシーンがあります。 そばで上品な紳士が「この絵は光と影のバランスが絶妙だ」と絵の解説を得意げにしていましたが、その時のサラの表情が忘れられません。 このように芸術の話を笑顔で話している最中にも、エチオピアでは芸術を語ることもなく、餓死して死んでいく人間がいるという当たり前の事実。 その事実を思い知らされたサラは、ゴッホやシューマンなど、彼女が今まで愛してきた「知識」や「教養」という価値観が吹っ飛んだのだと思います。 しかし多くの人は、悲惨な状況に心を痛めても、しょせん自分1人じゃ何もできないと思って諦める。 そしていつの間にか、そのことを忘れてしまうのでしょう。 そういえば、昔、母親から「ごはんを残してはいけません、エチオピアの子供などは食べられずに死んでいくのよ」と言われたことを思い出します。この映画の悲惨さを、忘れたくはありませんが、いずれは忘れて、贅沢を贅沢と思わない生活に戻るのかと思います。 私たちは、「生きる」ことも「食べる」ことも当たり前であり、それを幸福とは思わず、地位や名誉や尊敬、愛情を欲しがります。それが手に入らないと絶望して自殺する人もいるくらいです。 いまこのようにエチオピアの「悩み」を見せ付けられると、私たちの「悩み」は単に幸せを実感できないだけではないかと思うのです。 エチオピアで見かけたあの子供は、CGかと思うくらいに体に肉がありませんでした。あれをカメラで撮って演技させることすら、私には正しいのかどうか分かりません。しかし事実を伝えている点では評価できると思います。「愛」の話はべつになんとも思いませんでした。 そもそも「愛」のために生きられる人間は、毎日3食のご飯を食べられる人間だという当たり前のことに気がつきました。