1.《ネタバレ》 昭和パワー満載の【キングコング対ゴジラ:1962年/以下、対ゴジラと表記します】に続けて鑑賞。左記作品と同様、当作品は見損ねていました。
今回、予備知識として【TVアニメ版キングコング:1967年放送】とリンクした日米合作映画だと知りました。「♪ウッホ・ウホ・ウホ・ウッホッホ~!ウッホ・ウホ・ウホ・ウッホッホー!大きな山をひとまたぎ、キングコングがやってくる。怖くなんかないんだよ。キングコングは友達さ」…これは【アニメ版】の主題歌の一節です。実は、私にとってコングとの出会いは、このアニメ版(再放送)でした。当時は幼少で、しかも後年、再放送されなくなったため、細かいことは覚えていませんが、アニメ版のコングは、アメリカ人の男の子と友達であり、気が優しくて力持ち。最終回ではニューヨークで暴れてしまいますが、男の子の活躍で周りの人達に優しさを理解されてハッピーエンド…子供心に「コングさん」と親しみを込めて呼んでいたものです。
そのため、小学生のとき映画館で観た【1976年版】はショックでした。頭では「アニメ版とは別物」とわかっていても、血みどろで死んでしまう結末は、私の心の中のコングさんをズタズタにしてしまったのです。後年【キングコング2:1986年】が公開されましたが【興行上の理由で、無理やり製作した】という印象をぬぐえず、鑑賞の対象外。大人になり【猿人ジョーヤング:1949年】を観て、心は救われたものの「ジョーはコングさんではない…」という思いは残っていました。
そして今回、当作品を観たわけですが、さて、結果は…
まず、テーマ曲が終わった後の【前置きとしての潜水艦内での場面】がとても短い(後で計測したら約2分)。すぐ北極の秘密基地に場面が変わりメカニコング登場。さらに南の島へ…とテンポ良く展開し、キングコング登場!。しかも気が優しくて力持ちのコングさんではありませんか!。ヒロインのスーザンともすぐ理解し合えて、私は一安心。それだけに、メカニコングとの決戦前の「戦っちゃダメ。あれは生き物じゃない、機械なの。勝てないわ」というスーザンの台詞には、内心『このコングさんも、結局、死んじゃうの?』と不安になり…ラストでは『やっぱりコングさんは、僕らの王者・世界の王者(主題歌のフレーズです)だ!』と大喜び…と、すっかり幼少時の気持ちに戻って熱中してしまいました。
さて、このままでは、あまりにもお子様の感想のため【大人目線】で観直しました。
まず、特撮は、現在は【作り物という前提で、良く出来ているかどうか】という視点で観る必要があるでしょう。その意味で、コング(“さん付け”は控えます)の造形は、今となってはチープですが、それでも顔立ちは【対ゴジラ】を挽回するかのようにバージョンアップ。かつ、当時の技術なりに表情を変化させ、コングの喜怒哀楽を表現していたと思います。勿論、表現には、スーツアクター中島春雄さんの演技によるものも大きいと思われます。
次に、本編(ドラマ)は【対ゴジラ】と異なりコミカルではないものの、けっして暗くもなく、重苦しくもなく、とても観やすかったですし、他のレビュアーさん達もおっしゃる通り、ドクター・フーとマダム・ピラニアは魅力的でした。なお、当時の女性悪役について、私は『男性悪役の行動に疑問を感じ始め、主人公達に味方をして命を落とす』というイメージを持っていました。ちょうどTVシリーズ【仮面の忍者赤影:1967~68年】の【金目教編】に登場する“闇姫”がそうだったように…そのため、ピラニアの最後は【定石通り】とはいえ、切なかったですね。
さらに、ゴロザウルスが泡を吹いて絶命するシーンには「確か円谷英二さんは、子供達に配慮して、怪獣の流血を避けていたんだよな…」と思ったのですが…後でコメンタリーを聴くと「アメリカの製作サイドから血を流すよう要求されたが、円谷さんは信念を貫き、泡にした」と知り、感動しました。一方、本編のドクター・フーの最後は、口から血を吐くシーンになっています。コメンタリーでは解説されませんでしたが、本多監督がアメリカ側に譲歩したのかもしれません。それでも【白い波を被せて映像を和らげるよう配慮している】と、私は感じました。これらは【新しい表現を追求するあまり、残酷描写にエスカレートする】よりも【良識ある作家性】が反映されているのでは…と思います。
さて、採点ですが…一般には6~7点でしょうが、私にとって【コングさんを生き返らせてくれた作品】です。大甘ですが【オリジナル版あっての…】という1点のみを差し引き、本多・円谷コンビの【コングへの愛情】に溢れた良作として9点を献上させて下さい。
*【キングコング対ゴジラ:1962年】は、別途、レビューを投稿しています。