3.《ネタバレ》 DVDに収録されているインタビューで、ジュリー役のミシェル・ウィリアムズがこんなことを言っていたと思う。
「主要人物の誰が欠けても成立しない、奇跡の脚本」
どこがどう奇跡なんだぁ?と思いつつ、2回目の視聴をする私。そして気がついた。
たしかにスゴイことしてるかも。こりゃ~かなり練りこまれた脚本だ。
気になってネットで「16歳の合衆国」の批評を読み漁る。
あれれ?誰もこの脚本の凄さに気づいていない?
ガールフレンドの弟を殺した主人公。何故?なぜ?みんなが理由を欲しがる。
しかしリーランドは言う「理由なんてない」。
現代の若者は不可解だ、と大人たちは眉をひそめる。
これは大きな社会問題だ!と騒いで、事件についていろんな分析を当て込もうとする。
「理由がみつかれば、きつく縛って庭に埋めることもできる」
リーランドは事件についてノートに書き綴る。「この中に理由があるかもしれない」と。
私たちは「リーランドの合衆国」を読んで、理由を考える。
こうなんじゃないか、ああなんじゃないか・・・
しかしリーランドは肝心なことは何も書いていない。
私たちに「さがしてみて」と投げただけだ。
動機はあやふやだし、犯行時の記憶もない。なのに「僕がやった」ということだけは、はっきり主張する。
例えばこれが”火曜サスペンス劇場”や”はぐれ刑事純情派”だったら、「こいつ、誰かを庇ってるな?」とバレバレだ。
この本来ならバレバレであるはずの筋書きも、色眼鏡をかけたまま見ると気がつかないのである。
色眼鏡の正体は、「現代の若者は不可解だ」という偏見・先入観である。