1.《ネタバレ》 三木聡版『世にも奇妙な物語』な趣の一作。以下、私なりの解釈です。誤読ご容赦願います。未見の方はご注意ください…オレオレ詐欺を切欠に増殖した俺。初めは仲良くしていた俺同志ですが、意に沿わぬ俺を削除し始めるという混沌ぶり。さて、この状況は一体何なのでしょうか。ヒントは、ふせの台詞「パイレーツオブカリビアンの一番新しいの観た?」と、道端の臓物(?)にあると推測します。(臓物は予告編にも登場した重要アイテム)おそらくアレは胎盤の暗示ではないかと。テーマは“生命の誕生”と考えます。次々と現れた俺は、紛れもなく主人公自身。しかし個体差がある別人格です。それもそのはず。永野均はキムラ緑子の息子。大樹は高橋恵子の息子。母親が違います。なりすましの「もしもし」が“もしも自分が○○の子供だったら”のIFの世界を創り上げたのです。これは見方を変えると、(どうやら浮気で離婚されたらしい)均の父が、キムラ緑子以外の女性と子供を儲けた場合の未来予想図と言えるでしょう。しかし、です。“もしも”はあくまで仮定の世界。最終的には未来(現実)を一つ選ばなくてはいけません。そこで削除が起こったと。さて、ここでエピローグを思い返してみます。プロローグと同じ、母と息子の会話場面。でも、そこはかとない違和感が胸を過りました。オレオレ詐欺を償って、本来あるべき現実に戻って万々歳?本当にそうでしょうか。八十吉の「人生リセット、ゼロになる勇気」。サヤカの「とにかく一番最初に戻りなさい」「問題は途中で起こるものじゃないわ。最初から起こっているのよ」という言葉。これらが指示す“原点”とは、詐欺を働く前のことでしょうか?いいえ、違います。キムラ緑子の「君のこと、世界で最初に認めたのは私なのよ」が示す通り、原点は永野均が誕生した瞬間(すなわち受精時)と考えるのが道理かと。そこからやり直しならば、精子もリセット。つまり、オープニングとエンディングの永野均は、厳密には別の“タネ”ということになります。改めて選ばれたのは、母をマサエさんと素直に呼ぶ息子。実は本作の隠れ主人公は、一切画面に出てこない均の父親(もちろん顔は亀梨)だった気がするのです。以上でございます。監督お得意小ネタの洪水は、難解系ミステリーとの相性バッチリ。三木映画の新境地を開拓したという意味で、価値のある一作だったと思います。