20.《ネタバレ》 セルジオ・レオーネやセルジオ・コルブッチのマカロニウエスタンが可愛く見えるほどの生々しさを誇るヴァイオレンス西部劇。
俺個人はペキンパーといえば「戦争のはらわた」や「昼下りの決斗」だが、この作品はペキンパーの最高傑作に相応しい“破壊力”に満ちている。
6台のカメラを使って極限まで磨かれた銃撃戦の迫力!
冒頭の襲撃への緊張を高める場面と凄惨な銃撃戦は今までの西部劇に無い、
中盤は西部劇の伝統に沿った追跡劇と橋を爆破するまでのスリル、
そしてクライマックスを飾る4人対軍隊によるガン・ファイト!!!
ファーストシーン、ガンファイト、人間ドラマ、ラストシーンと揃った作品だ。
しかしこの映画が「俺たちに明日はない」といった作品同様の批判を受ける理由が解らない。
そりゃあ執拗なクローズ・アップや過剰なスローモーション演出には反吐が出るが、そんな事は問題じゃあない。
西部劇を血の海にした事が許せないのか?
それとも単に残酷な描写が許せないのか。
お門違いも甚だしい。
残酷描写というだけなら「戦艦ポチョムキン」や「椿三十郎」だって血の海だ。
血の海になって終わる映画ならエイゼン・シュテインの「ストライキ」だってそうである。
「アンダルシアの犬」なんか眼球チョンパだぜ?
そんなこっちゃあ無いんだよ。
大体、西部劇を神格化しすぎなんだよ。
この作品の西部劇は「爽やかな風と巨悪を撃つ正義のアウトロー」を描いわけでも、
「過酷な西部に生きる力強い民衆」でも無い。
エドウィン・S・ポーターの「大列車強盗」のような「暴力によって滅ぶ暴力者」の映画なんだ。
蠍がなぶり殺しにされる弱肉強食の“暴力”に始まり、メキシコ革命を影で支えた人間たちを皆殺す“暴力”に終わる。
暴力によってしか生きられなくなった男たちの哀しき物語。
そこには正義も悪も無い。
ただ彼らがいかに笑い、いかに哀しみ、いかに戦い死んでいったか。それだけなのさ。
パイクたち、
パイクを裏切ったソーントン、
マパッチの軍隊、
そして押し寄せる時代の波・・・四つ巴の死闘。西部を駆けるアウトローたちが生きた最後の時代。
俺たちに明日はない。だが、今日がある。
そう願ってがむしゃらに引き金を引いて死んでいく・・・それは、最後の最後に血ではなく、満面の笑みで観客に別れの“挨拶”をする男たちの姿からもそう思えてしょうがないんだ。