2.《ネタバレ》 相米映画は荒唐無稽な反面、いつもその「重心」をしっかりと大地におく。主人公たちは絵空事の住人でありながら、まるで万有引力に則るようにその足を地に着ける。相米慎二は本作の薬師丸ひろ子をはじめ起用した数々のアイドル女優たちにシゴキの一環としてたびたび四股踏みをさせたというが、四股はまさに大地を両の足で力強く踏みしめる行為だ。彼女らは突飛な世界を生きながらも現実世界の私たち同様、ふわふわと空を翔る自由ではなく、重力に従い地上につながれる不自由=体重を持つのだ。たとえば『台風クラブ』の工藤夕貴は教室の窓枠に頭を挟み、自らの体の重みを感じる。『雪の断章ー情熱ー』の斉藤由貴も、バイクの後部座席でのけぞりアスファルトすれすれに重心を傾ける。重力を体感するように幾度となくプールや川の水に落ちる『ションベンライダー』の河合美智子もそうだ。幽霊として存在する『東京上空いらっしゃいませ』の牧瀬里穂ですら、つかのまの生命と引きかえに確かな重みをもって地上へと落っこちてきた。相米映画において「生きる」ということはつまり、大地を踏みしめる自らの体のその「重み」なのだ。重力に負け、落下するピンポン球よろしく「重み」を汚泥に突き刺す『台風クラブ』の三上祐一はその逆説だろう。本作『セーラー服と機関銃』の薬師丸ひろ子も例外ではない。まるで両手で地球を支えるような「えび反りブリッジ」という異様な体勢で登場し、地べたに座り込み、さらには堂に入った四股踏みまで見せる彼女は、ヤクザの居並ぶ校門へとおっかなびっくり、けれど一歩一歩踏みしめ進む。彼女はその意味でまさに相米映画の申し子と言える。だからこそ彼女に迫る危機は、クレーンやら十字架やらに吊るされること=その足を地上から切り離されることとして表現される。遠景の長回しで延々捉えられる雑居ビル屋上での終盤、表情すら識別できぬ豆粒のような薬師丸がそれでもやるせないかなしみを強烈に発散させるのも、豆粒ながらけなげに動き回る彼女の一歩の重みがちゃんとそこにあるからだ。王道アイドル映画的ラストも同様だ。地下鉄の通風孔の上、翻るスカートから覗く薬師丸の脚。履きなれない赤いハイヒールでそれでもゆるぎなくしっかりと、彼女はそこに立つ。はちゃめちゃでくだらないこの物語を駆け抜けた薬師丸ひろ子の、そして星泉の、小さな、けれど確乎たるその生命の輝きと重みが、間違いなくここにはある。