3.《ネタバレ》 10点はこの映画を超えるものに出会うまでとっておきたい。裏を返せば、この映画は私にとって限りなく理想に近いものだということだ。川島雄三が大映で撮った三本はいずれも映画史に残る傑作といって差し支えないが、とりわけこの「女は二度生まれる」は川島の漲る才気とキャストとスタッフの力が最高潮の地点で組み合わさった、およそ完璧といえるほどに堅固な作品なのだ。まず俯角と仰角の鋭いショットでもって全編を構成することにより、この映画に研ぎ澄まされた質感とリズムをもたらしている。このことが観客の集中力を促し、時間の経過を忘れさせる要因となる。これは監督だけでなくカメラマンの村井博の力量によるところが大きい。川島は構図に関しては無頓着な方だったが、村井の助言により絵画的な構図を志向するようになったという本人の証言がある。少々狙いすぎの気もあるが、それでも感服せざるをえない構図の連続である。カラーの乾いた感触や池野成の画面を補足するような魅惑的な音楽も手伝って、画面作りにおいては非の打ちどころがないと断言してもいい。次にキャストの話をしたい。もちろん若尾文子の話だ。他の俳優陣も確かな力量の持ち主であることは言うまでもないが、この映画はやはり若尾文子の、いや小えんの物語なのだ。この映画において若尾の魅力が爆発していることに異論を唱えるものはおそらくいないだろうが、それは若尾全盛の美貌のおかげだろうか、はたまた身振りや口調表情など、つまりは演技のおかげだろうか。私はこの映画における若尾を評して名演だったとは言いたくない。小えんという一個の人間がフィルムの上に確かに生きていたのだ。この映画において若尾は紛れもなく小えんだったのだ。川島は小えんという人間の生活をその卓抜な演出手腕により構築し、映画の最後の場面、25秒に渡るフィックスショットにより、小えんのこれから歩むであろう人生をも提示した。フィルムに映ったものは小えんの人生にとってほんの数場面に過ぎない。しかし川島雄三は小えんという人間についての無限の情報をこのフィルムに刻んだのだ。
ただし幾つかの欠点もある。反戦の思いを込めたであろう靖国神社のシーンはこれ見よがしで冷笑を誘うし、路地裏を映した凡庸な数ショットに興醒めする瞬間もある。しかしこれらは些細な欠点だ。未見の方は是非とも観てください。ツタヤに置いてあるし、旧作だから百円だ!