コクリコ坂からのシネマレビュー、評価、クチコミ、感想です。

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コクリコ坂から

[コクリコザカカカラ]
From Up On Poppy Hill
2011年上映時間:91分
平均点:5.70 / 10(Review 117人) (点数分布表示)
公開開始日(2011-07-16)
ドラマアニメ青春もの学園ものロマンス漫画の映画化
新規登録(2011-02-15)【イニシャルK】さん
タイトル情報更新(2023-08-22)【イニシャルK】さん
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監督宮崎吾朗
長澤まさみ松崎海(メル)
岡田准一風間俊
大森南朋風間明雄
香川照之徳丸理事長
石田ゆり子北斗美樹
竹下景子松崎花
風吹ジュン松崎良子
内藤剛志小野寺善雄
風間俊介水沼史郎
柊瑠美広小路幸子
小林翼松崎陸
手嶌葵海の友達
白石晴香松崎空
藤山扇治郎
原作佐山哲郎
高橋千鶴
脚本宮崎駿
丹羽圭子
音楽武部聡志
作詞永六輔「上を向いて歩こう」
宮崎吾朗「朝ごはんの歌」/「初恋の頃」/「紺色のうねりが」
谷山浩子「朝ごはんの歌」/「初恋の頃」
宮崎駿「紺色のうねりが」
宮沢賢治「紺色のうねりが」(原案)
作曲坂田晃一「さよならの夏 ~コクリコ坂から~」
中村八大「上を向いて歩こう」
谷山浩子「朝ごはんの歌」/「初恋の頃」/「紺色のうねりが」
編曲武部聡志「さよならの夏 コクリコ坂から」/「朝ごはんの歌」/「初恋の頃」/「紺色のうねりが」
主題歌手嶌葵「さよならの夏 ~コクリコ坂から~」
挿入曲坂本九「上を向いて歩こう」
手嶌葵「朝ごはんの歌」/「初恋の頃」/「紺色のうねりが」
撮影奥井敦(撮影監督)
製作奥田誠治(製作担当)
スタジオジブリ(「コクリコ坂から」製作委員会)
電通(「コクリコ坂から」製作委員会)
博報堂DYメディアパートナーズ(「コクリコ坂から」製作委員会)
日本テレビ(「コクリコ坂から」製作委員会)
三菱商事(「コクリコ坂から」製作委員会)
東宝(「コクリコ坂から」製作委員会)
ウォルト・ディズニー・ジャパン(「コクリコ坂から」製作委員会)
島谷能成(「コクリコ坂から」製作委員会)
高井英幸(「コクリコ坂から」製作委員会)
市川南〔製作〕(「コクリコ坂から」製作委員会)
企画宮崎駿
プロデューサー鈴木敏夫
川上量生(プロデューサー見習い)
制作星野康二
スタジオジブリ
配給東宝
作画近藤勝也(キャラクターデザイン)
高坂希太郎(作画監督)
米林宏昌(原画)
本田雄(原画)
山下明彦(作画監督)
田中敦子〔作画〕(原画)
新井陽次郎(動画)
編集瀬山武司
録音東北新社
木村絵理子(アフレコ演出)
その他スタジオジブリ(提携)
電通(提携)
博報堂DYメディアパートナーズ(提携)
日本テレビ(提携)
三菱商事(提携)
東宝(提携)
ウォルト・ディズニー・ジャパン(提携)
鈴木敏夫(キャッチコピー【ノンクレジット】)
読売新聞社(特別協力)
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7.《ネタバレ》 『風立ちぬ』の2年前に制作されていますが、時代設定でいえば『コクリコ坂』のほうが四半世紀ほど後の物語です。この2つの作品には、強い連続性が感じられます。実際、戦前の「航空マニア」の多くは、戦後の「船舶マニア」でもあったはずです。
物語の中心的なテーマは「親世代の過ち」です。主人公の少年と少女は「父の過ち」を疑うのですが、これはメタファーにすぎません。少年の父親は太平洋戦争で、少女の父親は朝鮮戦争で死んでいます。LSTによる朝鮮戦争への参加という歴史も、太平洋戦争という「過ち」の負債であるに違いありません。
しかし、主人公たちは、少年の出生の秘密を知ったときに、父(=太平洋戦争の戦友たち)の行為が「過ち」ではなかったと納得します。明治時代から横浜に残る"コクリコ荘"や"カルチェラタン"といった建築物の価値を肯定するのと同様に、親世代の歴史の意味を肯定していく物語なのです。オリンピックの狂乱を契機に変貌しようとする高度成長期の東京を横目に、あらためて「戦前」の価値を見つめ直そうとする若者たち。そこには、安直な方法で建て替えをはかろうとしていた「戦後」の日本への批判も見え隠れします。
この作品を、たんに「昭和30年代の日本を懐かしむ映画」だと理解するのは間違いであって、むしろ登場人物たちは、「戦後」の日本社会を批判しつつ、失われていく「戦前」の価値を守り抜こうとしている。これこそが『風立ちぬ』のテーマにも通じる、宮崎駿のもっとも危険かつ美しい思想ではないでしょうか。自分の子供に「陸・海・空」と名づける親の発想もだいぶ危険な気がしますが(笑)、宮崎駿自身も、こうした価値観を息子に託しているように見えます。
メタファーをどう読み解くかは観客に委ねられていると思いますが、『千と千尋』や『もののけ姫』のメタファーを読み解くことに積極的な人たちが、『コクリコ坂』や『風立ちぬ』に対して何らのメタファーも見て取ろうとしないのはおかしな話だと思うし、わたし自身は、それらの作品のメタファーがたがいに共通のテーマで結ばれていると思わずにはいられません。
なお、『風立ちぬ』がユーミンの「ひこうき雲」の世界だったとすれば、『コクリコ坂』はさしずめ「海を見ていた午後」の世界です。冒頭で手嶌葵が歌っていた曲は、ほとんど「チャイニーズスープ」のようです。武部聡志と谷山浩子は、たんに「昭和の横浜の音楽」を作っただけでなく、まるで次作のテーマ曲が「ひこうき雲」になることも見越していたように感じます。
宮崎父子の危険な思想の是非はともかく、作品そのものは申し分なく美しいと思ったので、その点を最大限に評価します。
まいかさん [地上波(邦画)] 9点(2020-08-22 00:40:58)
6.『ゲド戦記』という父殺しの作品を作った宮崎吾朗監督が、今回は父を想う作品を作ってきた。と思いきや、脚本にかかわっているのが当の父親本人だもんで、額面通り受け取ってよいのやら。主人公のウミちゃんが、母から事の真相を聞いて涙する場面。一見、「愛する俊くんと実のきょうだいではなかったことを知り、安堵の涙」とも受け取れるけれど、そうではないのかも知れない。彼女がその前に涙を流したのは、夢で父親と再会した場面であったから。亡き父へ送っていた旗の信号を受け取っていたのが、実は俊くんであったから(そして、彼女も「旗が父の代わりに俊くんを呼んだ」と思っている、あるいは思おうとしている)。そして、この場面の彼女の涙は、母親の「お父さんと彼は似ているのか」という質問にうなずいた直後のものであったから(実際、俊くんの育ての父に言わせても似ているらしい)。そんな訳で、高校生の恋愛という題材を借りてはいるけれど、実際は、セクシャルなものではない、近しい者に対する普遍的で無条件の愛が、ここでは描かれているんだろう、なーんて思うと、実はコレ、『ポニョ』の変奏曲みたいな作品なのかもしれませぬ。
鱗歌さん [地上波(邦画)] 9点(2015-01-23 00:04:54)
5.2回目の鑑賞。
なんでこんなに低い点なんだろう。
めちゃくちゃいいじゃん!
ここに出てくる人、全員好きだわ。
曲もいいし、DVD買おう。
Skycrawlerさん [地上波(邦画)] 9点(2013-02-02 21:19:21)
4.《ネタバレ》 もはやジブリは誰が監督でもそれほど差はない。これはほめ言葉です。つまりアリエッティにせよ、コクリコ坂にせよ、ポニョにせよ、レベルはほぼ同じで高水準です。誰がメガホンをとろうがジブリはジブリであり、監督が違えども、選手は同じなのです。本作品をみて改めてジブリの絵は「ヘタウマ」に変化しつつあると思った。本当は俺たち、写真のようにリアルティのある絵を描けるんだぜ、だけどそういう路線には進まないんだぜ、とジブリは言っているのです。彼らの矜持にたいし、私は畏敬の念を感じずにはいられない。よくピカソの絵は下手なんじゃないの?という議論が持ち上がる。ひょっとしてジブリの創り出す絵はピカソ的方向に向かっているのではないか?つまり多視点への挑戦です。表現力の追及です。さらに古き良き時代がノスタルジーとして描かれている。かといって単なる懐古主義に終始しているわけではなく、未来への希望が前面に打ち出されている。実は学園闘争の描写は「挑戦」に対するメタファーになっており、そこに人間賛歌が描かれている。しかも小難しいメッセージがない。もし駿が今映画を作っているならば、原発問題へのメッセージまでも織り込みそうでかえって怖い。我々映画ファンは、外国人に褒められるようなバカなアニメ映画はもうたくさんなのだ。ちなみにこの映画が楽しめるか否かの生命線は、ヒロインの海を応援できるか否かにかかっていると思います。海が母親から真相を聞いて泣き出すシーン。私は鼻水垂らして号泣でした。なぜ海は泣いたのか?その涙はうれし涙ではないと思う。張りつめていた不安や緊張感から一気に解放されたがゆえの涙だったに違いない。結ばれない恋愛と思いつつも私はあなたを好きになってよかったというあの気丈セリフ。君の一挙一動に私は涙で脱水症状寸前でした。ジブリの魅力はたしかに冒険もあるでしょう。しかし真のジブリの魅力とはヒロインの魅力に尽きる。時にはブタやババアを主役にして大コケすることはあるがナウシカ、シータ、キキ、トトロの姉妹、それら少女の人物描写こそジブリの財産であることをジブリ自身が自覚していることに私は安堵した。良い主人公だった。だから良い映画だったと心から思う。私の感想はそれに尽きる。
花守湖さん [DVD(邦画)] 9点(2012-08-18 20:07:17)(良:1票)
3.《ネタバレ》 大変爽やかな映画だと思いました。作中で発生する、とある(俊言うところの「メロドラマみたい」な)展開も、この爽やかな物語に起伏を持たせるためにはある意味相応しかったと、個人的には思います(以下原作未読でレビューします)。

僕自身はこの映画で描かれている時代を経験しているわけではありませんが、それだけに作中の風物や、あるいは登場人物の物の言い方なども、結構新鮮に見ることができました。

例えば作中、カルチエラタンの取り壊し反対のための討論集会の場面など、恐らく見る方の世代によっては「このシーンは学生運動を経過した頃の時代の空気を反映している」という風に受け取る方もいらっしゃるかと思います。僕も一応知識としては「そういうことがあった」という事を知ってはいますし、中にはそんな作中の描写を「単なる懐古趣味だ」と批判的に受け取る方もいらっしゃるかもしれません。

もちろんそういう意見を否定するつもりは全くありません。そしてそのシーンに対する、(知識としてしかそういう時代が存在したことを知らない)僕自身の感想を言えば、その集会のシーン全体からは、「我は我である」といった一癖ある人物たちが、何の屈託も無く自分の足場に立って自己の主張を展開し、また周囲もそんな曲者を「個人」として認め、その存在を許容しているという、何とも鷹揚な清々しさを感じました。それはまたあの印象的なカルチエラタンの個性的な住人たちが初めて紹介される一連のシーンでも感じたことでした。

こういう「楽天的な鷹揚さ」や、あるいは海と俊の爽やかな恋愛模様といった内容は、もしかしたら今のような時代に望むのは困難なものかもしれません。あるいはまた、上記一連のカルチエラタンのエピソードに代表される「屈託のない理想主義」といった内容は、実際にかつての1960年代の日本に(あるいは世界中、人類の歴史始まって以来延々と)人々から望まれ、あるいは挫折してしまった事柄かもしれません。

しかし過去に一度存在した(そして挫折してしまった)からと言って、「それを現代で望んでいけない」という決りは無いと思います。そして何より、過去に材を取ろうが、挫折をしていようが、「何かを望み、実現する」という様子を、どんな形であれ映像化し、またそれを目の当たりにするのは、いつの時代も変わらず心地よく、また感動的なのではないかと思います。

「自分自身宮崎駿作品のファンだった」と公言する吾朗監督だけに、端々に過去の宮崎駿作品へのオマージュと見られるシーンがありますが、そんなシーンの存在と、高校生の青春映画としての体裁、そしてスムーズな物語展開といった要素が相まって、僕はまるで一編のファンタジーを楽しむかのように、この別時代(別世界)の爽快な物語を楽しみました。
マーチェンカさん [映画館(邦画)] 9点(2011-07-24 16:43:02)(良:1票)
2.《ネタバレ》 非映画的な「説明のための説明」など無い方が良いのは、言うまでもない。
主流シネコン映画の「全面介護式」に慣らされ、1から10まで手取り足取り映画に説明してもらわねば何も「ワカラナイ」観客、あるいは「見ていても気づけない」観客、(ついでに言うと「メッセージ依存者」)には不向きな映画であることは間違いない。

エスケープから戻った路面電車乗り場の告白シーン。カメラ正面に向いた少女の後景に次第にヘッドライトが入射し、今度は切り返された少年の正面へ順光が入射する。続いて横からのショットとなり、少女のいる画面右手から少年の立つ左手へと光は伝わり、彼らの後方でドアが開く。
古典的で寓意性豊かなシーン作りが絶品だ。
あるいは、『天空の城ラピュタ』的な垂直線上の出会いの鮮やかさ。
マッチを摺る、キャベツを千切りする、あじフライをフライ鍋の中で箸で裏返すという細やかな調理動作の見事さ。
そして金槌打ち、ハタキ掛け、壁塗り、箒掛け、雑巾掛け、荷物運びといった清掃の動作のアニメーションも過去作の群を抜いて多彩だ。

何故、宮崎駿は「労働」のシーンを重視するか。それは、アニメーター自らが徹底した観察と実演を通さねば描き得ないアニメーションの基本だからだろう。
だから彼は何よりもまず労働の場としてカルチェラタンを設定・脚本化し、スタッフに作画を課す。
彼は、人間の細部の動作を写実する地味で困難な作画を通してアニメーション文化の継承と若い人材育成に専心しているように見える。そしてスタッフはそれに見事に応えている。

宮崎駿を不遇時代から理解し、支え続けた故・徳間康快氏もあからさまに登場するが、それはこの作品が、宮崎から亡き恩人への直截な返礼と手向けであることを示す。

助力してくれる旧世代への信頼と肯定。そこから新世代の進歩が生まれるというメッセージ。それは討論会のシーンでも少年の演説の形を借りて直裁なまでに謳われている。子供達の未熟を映画は否定しない。
宮崎吾朗組は、先達の信念を肯定し尊重しつつ、それを継承することから、新しきを模索してゆこうとする。

少年と少女は、オート三輪やタグボートを駆る大人達の助けを素直に借りて協働しながら坂道を下り、海を渡る。
前半の「上を向いて歩こう」に呼応する武部聡志のサントラナンバー「明日に向かって走れ」に乗って二人が坂道を並び駆け下りて行く横移動シーンの高揚感、ロマンティシズムが素晴しい。
ユーカラさん [映画館(邦画)] 9点(2011-07-19 23:41:36)
1.「まるで安いメロドラマだ」と自分たちに与えられた境遇に対して、少年が言う。
“恋”が芽生え始めた少年少女の間に生じた「出生の秘密」は、使い古されたプロットでまさに少年の台詞がふさわしい。
しかし、彼らはその事実に対して、決して安易な悲劇に浸らない。悲しみや困難から目をそらさず、自分の感情に対してまっすぐに立ち、乗り越え、その先を歩んでいく。

その自分の人生に対する力強いスタンスは、主人公の二人に限ったことではなく、この映画に登場するほとんどすべてのキャラクターから見て取れる。
1963年という時代背景の中で生きる人々。もちろん、幸福も不幸もある。しかし、そこには現代社会のような閉塞感はなく、幸福だろうが不幸だろうが、自分の意志で前を向いて生きていかなければならないという力強さと希望が溢れている。
そういう生き生きとした人間模様こそが、この映画の最たる魅力だったと思う。

すなわち、このアニメ映画は相当に素晴らしい作品だったと断言する。

映画は主人公の少女の「日常」の朝の風景から始まる。
主人公の少女の境遇や周囲の人間の人物像を捉えても、特別に劇的なことは何もない。
それなのに、次第に彼女をはじめとするキャラクターたちの言動に惹かれていく。

それは、この映画が人間の一人一人をとても丁寧に描き、彼らが生きている「時代」をありありと切り取っているからだと思う。
そこにはあざとく説明的な台詞や描写は存在しない。時に時代背景や当時の社会風俗の知識が無いと分かり辛い部分もある。しかし、そういったものは、彼らが生きている様を見ているうちに自然と解消してくる。
そうして、気がつくとどっぷりと主人公たちの感情に移入している。

とても丁寧ではあるが、決して大衆に安直な迎合はしない潔さと、映画表現の巧さがこの映画には溢れている。
作品の性質上、なかなか万人向けとは言えない映画であり、特に子どもが見ても面白さは分からないかもしれない。
ただ、かつて「耳をすませば」や「おもひでぽろぽろ」が、歳を重ねるにつれ面白味が溢れてきたように、長い年月において自分が成長していく中で、理解が深まり初見時とは違った感動が膨らむ映画だと思う。

だからこそ、年代問わずいろいろな人に見てほしい素晴らしいアニメ映画だと言いたい。
鉄腕麗人さん [映画館(邦画)] 9点(2011-07-18 00:24:23)(良:2票)
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【点数情報】

Review人数 117人
平均点数 5.70点
000.00%
100.00%
232.56%
386.84%
42218.80%
51815.38%
63025.64%
71815.38%
8108.55%
975.98%
1010.85%

【その他点数情報】

No名前平均Review数
1 邦題マッチング評価 4.80点 Review10人
2 ストーリー評価 5.18点 Review16人
3 鑑賞後の後味 6.00点 Review13人
4 音楽評価 6.28点 Review14人
5 感泣評価 4.53点 Review13人
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