1.《ネタバレ》 ゼロ戦の設計者・堀越二郎が実名で出ていますが、
「風立ちぬ」の著者・堀辰雄の人生と著作をフュージョンさせたフィクションでした。
宮崎氏が描きたかったのは、飛行機の設計だけに執着した男の話。
道徳的な教訓や反戦的な思索を込めた作品では無い。
だから、時代背景として描出される大正後期から終戦までの出来事
~関東大震災、失業者が溢れる不況、銀行破綻、特高警察のマークなど~
はあくまで背景として流すだけで、主人公はそこに関わらない。
戦争描写も同様で、物資不足や空襲は描かれない。
思い切った省略が為されている。
「お国のために」という意識が堀越二郎に皆無だったとは思わないが、
そこも外されている
後半、病身の奥さんとの遣り取りが美談風に描かれる。
この辺りが堀辰雄からの引用。
でも、あえて較べるなら、主人公の頭の中は飛行機7、奥さん3くらいに思えた。
これらは意図した演出だろう。
空への憧れ、という一点だけを見つめた男を浮き彫りにするための演出です。
艦上戦闘機の設計に「機関銃さえ無ければ可能な案」が浮かぶ。
兵器を設計しながら、思考は「美しく飛ぶ飛行機」を模索する。
本人の目的と、製造されるモノの目的が合一しない。
最終的にゼロ戦は「機能美」を獲得した機体になった。
彼が夢で見たゼロの編隊飛行はとても美しい。
でも、その夢の中でも「最後はズタズタでした」と語る主人公。
「ズタズタ」とは撃墜や敗戦だけでは無く、「棺桶」として使用されたことも含まれるのだろう。
これらのギャップや矛盾が本作がテーマだったと思う。
時代のうねりの中で、
嗜好だけを貫いた者がどのような感慨を覚えたのかを描きたかったのだと思います。
そして、本作の主人公は宮崎氏にオーバーラップします。
この人ほど「空を飛ぶ機械」への憧れを描き続けた作家はいない。
ファルコ、ギガント、メーヴェ、ガンシップ、オーニソプター、アルバトロス、等々。
デッキブラシなんてのもあったけど(笑)。
長い付き合いの中で多くの飛翔を堪能して来ました。
彼は飛行機の操縦も設計も出来なかったが、描き、動かすことを自己実現の手段とした。
手法こそ違え、本作の主人公そのものではないか。
「空を飛ぶ機械」は美しく描きたいが、アニメになったら大半は戦闘シーン。
流麗に飛ばしたくとも、人殺しのシーンが最もイキイキする。
これも矛盾です。
個人の嗜好と有用性は、矛盾を孕んで進むものなのだと思います。
本作は分かりにくい映画でしょう。
それは、強引な取捨による個人の一側面描写に起因しています。
敢えて禁止用語を使いますが、ヒコーキキチガイを描いた映画でした。
同時に、監督の想いを綴った私小説ならぬ私映画でした。
そこに込められた想いに呼応できないと、ぼやけた見え方になると思います。
彼は「ズタズタ」になったとしても、彼の嗜好でアニメを作り続けたのでしょう。
広告に使われていたフレーズ「生きねば」とは、それしか出来ない者の覚悟だったと解釈します。
私は感動しました。
(2018/12/15更新 初投稿時、文字数制限で割愛していた部分を補足しました)