1.《ネタバレ》 これは映画か、現実か。または娯楽か芸術か、目の前の人間かネットの友達か、人は飛べるのか。お互いに対して理解を示さないもの、それは時に予期せぬ奇跡をもたらす。
驚異のカメラワークで、ある俳優の劇的なカムバックを演出した本作は、今年最高の1本に数えるべき大傑作だ。
M・キートンといえばバットマンだ。間違いない。まだヒーローがユビキタスな存在ではなかった頃、タイツの自警団に市民権を与えたのは彼だ。
今ではヒーロー映画はハリウッド最強の稼ぎ頭となった。しかしその立役者はどうなった?イメージの定着により、キャリアのどん底にいる。チャンベー主演のバットマン世代なら、存在すら知らないのがオチだ。
かつての大スター・リーガン同様、演じるキートンも同じ悪夢に苦しめられてきたのである。
「どうしてこうなった…」まさにキートンの心の声。
引き合いに出されるジョージ兄貴は三代目バットマンの過去を、「忘れたいね」と笑い飛ばし、今も人気者なのに。
そんな彼と激突するのはE・ノートン。演技派ながら新ハルクに登板、かと思えば「アベンジャーズ」は降板し「芸術家」のブランドを保っている。キートンにはキツい対戦相手だ。
劇中ノートン演じるシャイナーは、これまたリアルにリーガンを糾弾する。ハリウッド対ブロードウェイ、つまり娯楽と芸術のぶつかり合いだ。この構図がなかなか面白く、双方の理解の無さが本作の鍵にもなる。
舞台俳優の罵声、批評家の冷笑。彼らにとって、リーガンは只のセレブ。しかしリーガンは彼らのイメージ通りかというとそれも違う。
純粋な理由から俳優を志し、過去の失敗から、今は家族を真摯に見つめている。理解されないだけだ、演技と家族への思いに嘘はない。
だからこそ公演初日の事件は、お互いを歩み寄らせた。それは娯楽と芸術だけではなく、家族との愛もだ。鼻は吹き飛んだが、欲しかった花の香りを感じ取れた。
ラストでサムが何を見たのかは、個人のとらえ方によると思う。もちろんリーガンに超能力はない(空を飛んだ後、タクシーの料金を請求される)。しかし僕としてはハッピーエンドを信じたい。ついにバードマンから解放され、飛翔したのだと。だってキートンも奇跡を起こしたんだから。
こんな物語を、奇跡を誰が予期しただろうか。リーガンとキートンのカムバックに乾杯。そして空気と化した2代目バットマン、バル・キルマーに合掌。