1.主人公の米軍エリート大将は、ストイックな男。
毎朝の11kmのランニングを欠かさず、食事は一日一回、4時間しか眠らない。
劇中何度も描写される彼の絶妙に滑稽なランニングフォームが可笑しい。
そこには、この「戦争についての映画」におけるシニカルな悪意が凝縮されているように思えた。
さて、この映画は、「戦争映画」だろうか。
勿論、「9・11」に端を発した「アフガニスタン紛争」の“現場”を描いている以上、風刺とコメディがふんだんに盛り込まれてはいるが、「戦争映画」だと認識することが正しかろう。
しかし、この映画の作り手は、描かれていることが「戦争」であるということを絶妙なさじ加減で終始ぼかし続ける。
冒頭、国際空港の便所で用を足した後、意気揚々と闊歩し、「勝ちに行くぞ!」と兵士たちに発破をかける主人公の陸軍大将の姿は、まるでやる気のないスポーツチームを率いる少々間の抜けたコーチのようだ。
その後駐留地を目の当たりにした大将は、「ここの連中は戦争だということを忘れている」と嘆く。
それは米軍の兵士に限ったことではない。連合諸国の兵士は勿論、大使をはじめとする米国政府の面々も、現地のアフガニスタン兵や国家元首すら、それが「戦争」であることの意識が希薄になっている……ように見える。
それでも熱い大将は、あらゆる場所で「熱弁」をふるう。
この「戦争」の意味と価値を、各所で、兵士、政治家、民衆、記者、様々な人に説いて回る。
どの場面でも、大将の演説はとても情熱的だ。
劇中、ティルダ・スウィントン演じるドイツ人議員の指摘にも含まれていたように、「大将は善い人」だと思う。この人物が本当に信念をもって任務に臨んでいることは誰の目にも明らかだ。
しかし、悲しきかな彼の言葉に、説得力を伴う「中身」は無い。
それは、彼が己の人生を通して信念を懸ける「戦争」そのものに、中身がないからだ。
そして、逆説的に彼の存在そのものが、この「戦争」の空虚さとイコールであることが、徐々に確実に露わになってくる。
熱き大将は、嘆く。戦争であることを認識していない本国、そして世界に対しての壮絶なジレンマに苛まれる。
でも、現実はそうではないのだ。
「戦争」というものに、彼が求める「理想」が本来はあったのだとしても、そんなものはとうの昔に無くなっている。
そんな“今”の「空虚な戦争」において、古ぼけた理想を掲げる軍人がいくら熱弁を振るおうとも、何かが伝わるはずもない。
何処から来て、何処へ行くのかすら伝わらない。
そこには、巨大な虚無感が横たわっているようだった。
ブラッド・ピットがあらゆる意味で素晴らしい。
製作者としてネット配信限定の映画製作を担うにあたり、その性質を最大限に活かした題材と手法と作品規模で、オリジナリティに溢れる作品を仕上げてみせたと思う。
そして同時に、スター俳優としてベストパフォーマンスを見せている。時期的にアカデミー賞ノミネートは狙えないのかもしれないが、間違いなくそのレベルであり、少なくともこのスター俳優の新たな代表作の一つとなったことは確かだろう。
空虚な戦争を続ける空虚な大国は反省などしない。
では何をするのか?クビにして後任を送るのだ。
後任として送られてきたまさかの「ボブ」の闊歩を目の当たりにして、最後の最後までブラックな笑いと虚無感の増大が止まらなかった。
それにしても、このレベルの戦争映画がネット配信限定で公開される時代か。
作品内容に対する邦題の的外れ感は罪だが、映画の在り方は今後益々多様化していくのだろうな。