1.《ネタバレ》 い~~ですねーっ。
キラ星のごときスターたちが、フラッと訪れてはなにかヘンなことをやっていく。
タバコ屋のオヤジであるカイテルの常に一歩引いたスタンスが、有りそうで無さそうで、でも有り得たとしたらとっても難しい生き方だろう…と思わせます。
どのへんまでが脚本でどのくらいがアドリブなのか…というのもこの作品になお興味をそそらせます。
あんまりにもナチュラルなのでほとんどアドリブなのかと思わせといて、実はドットの妙な態度のデカさは店主の妻だったせいということも最後のほうで明かされるし、ヴィニーが店を売りに出したというエピソードを主軸にした、けっこう緻密な構成がされたうえでのナチュラルさ、なのではないかと考えています。優れた作品は地道な計算のうえに成り立っていると思うからです。…が、どうしても演技とは思えないのがルー・リードで。
ルー・リードが繰り返しあらわれて人を喰った話しかしないことがなんともいえぬリアリティをかもし出し、「ルー・リードのとこだけもっかい見るかな」とまで思わせます。芝居が見えてしまっているジム・ジャームッシュよりなんといってもルー・リードです。
自閉症のジミーの後姿も印象的だし、短パン姿のイっちゃってるM・J・フォックスもいいし。マドンナがあらわれた時は、すぐには気がつかず「なにか妙にごっつくて顔色の悪い姉ちゃん…」と思われた。
人種問題の双璧とされる(?)スパイク・リーの「25時」、ポール・ハギスの「クラッシュ」と比べて見てみましょう。もうシリアスはおなかいっぱいです。流血も殺人ももうけっこうです。「混沌を愛でる」とはたぶんこういうことなのです。「愛でる」ということは「マジにならない」でありそれは「一歩引く」ということです。ハギスを見て考えこんでも、暗い気持ちになるだけです。ならば、「混沌」は「愛でる」のが正解ということなので、スコセッシの初期作品でイキがったチンピラをしていた若きハーヴェイ・カイテルが30年後にたどりついたところそれが「ブルー・イン・ザ・フェイス」なのです。
合言葉は「俺は吸い込んでないから」。すばらしい。