1.《ネタバレ》 押入れの整理をしていたら、10年ほど前に録画したビデオテープを見つけたため、あらためて再見してみました。感想は10年前と殆ど変わりませんが、当時、我が家にはインターネットが無く、当サイトに投稿出来なかったので、この機会に明記します。なお、日本未公開になった理由は、私も知らないのですが「ひょっとして…」と思うところはあるので、そのあたりもチラチラっと書いておきます。
イーマについては、他のレビュアーさん達もおっしゃっている通り素晴らしく、ハリーハウゼン氏の愛情がたっぷりと注ぎ込まれているキャラクターだと思います。そして「シンバッド七回目の航海(1958年)のサイクロプスの声は、イーマからの流用だったんだ!。巨大化し、川から濡れた身体で現れるイーマは、タイタンの戦い(1981年)のクラーケンと似ているような…。ひょっとすると、ハリーハウゼン氏は、大好きなイーマを再登場させたくてクラーケンをデザインしたのではないかな」とも思ったりしました。
また、象との格闘も見応えがあると思ったのですが…ただし、当作品が発表された前年・昭和31(1956)年の日本では、某動物園で、象にまつわる事故がありました。そのため、当時、日本での象に対する眼差しが微妙・ナーバスな時期であったかもしれず、そのため当作品も未公開になったのかも…と思ったりもしました。
…と、ここまでは肯定的な意見をお伝えしましたが、実は、私には【引っかかる面】があります。それは当時の社会世相に関連したものであり、脚本上の問題であって、ハリーハウゼン氏のせいではないことを、あらかじめ、お断りしておきます。
【引っかかる面】とは、アメリカのカウボ-イに憧れるペペ少年の描き方です。第二次大戦でアメリカは連合国軍として、日本やイタリアに勝利しました。それだけが要因ではないにしても当作品の公開時、ドルは依然として強く、アメリカの人々にとっては僅かな金額(ドル)でも、イタリアの【リラ】や日本の【円】に換算すると大金になる時代でした。獣医・レオナルド先生にペペがイーマの卵を売るやりとりは【無邪気な子供の小遣い稼ぎ】という程度で気になりませんでしたが…軍人・マッキントッシュ少将とペペとのやりとりからは【敗戦国の少年達は、優れた我が国に憧れを持っている。その少年にご褒美としてのお金を施し、憧れの思いを満たしてあげることは、大変、良いことなのだ】とでもいうようなニュアンスを、私は感じてしまったのです。そして「もし当作品の舞台が日本で、少年が日本人だったら、この場面を見て、当時の日本の観客は、いい気持ちはしなかっただろう」と思うのです。これが未公開になった最大の理由かも…と思ったりしています。ましてや、イタリアの人達は、この場面を見てどう思ったのでしょうか?…もちろん映画の本筋というわけではないし、当時の脚本家や監督にも悪意は無かったでしょうから、私の考え過ぎだとは思いますが…ハリーハウゼン作品に限らず【現代劇】という括りの過去の作品には、こうした当時の世相で引っかかってしまうことが、私にはときどきあります。
その点、その後のシンドバッドシリーズなど【神話・ファンタジー系の作品】は、こうした面を感じなくて済み、時代を越えて愛される普遍性を獲得していると思います。ハリーハウゼン氏が【現代劇】から路線変更してくれて、ありがたく思っています。
さて採点ですが…イーマ自体は素晴らしく10点を献上したいのですが、上述の通り、社会世相絡みで私には看過できないものがあります。同じモノクロ作品の原子怪獣現わる(1953年)に7点をつけたので、それよりも面白いという意味でプラス1点、そして些末的な面に引っかかってしまう自分の小ささを自戒してプラス1点、計9点を献上します。