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影の車

[カゲノクルマ]
1970年上映時間:98分
平均点:7.09 / 10(Review 23人) (点数分布表示)
公開開始日(1970-06-06)
ドラマサスペンス小説の映画化
新規登録(2003-11-20)【fujico】さん
タイトル情報更新(2024-09-24)【Olias】さん
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監督野村芳太郎
キャスト加藤剛(男優)浜島幸雄
岩下志麻(女優)小磯泰子
小川真由美(女優)(女優)浜島恵子
芦田伸介(男優)刑事
近藤洋介(男優)石川
滝田裕介(男優)浜島のおじさん
永井智雄(男優)小磯貞雄
岩崎加根子(女優)浜島の母親
浜田寅彦(男優)
野村昭子(女優)
川口敦子(女優)
谷よしの(女優)
原作松本清張「潜在光景」
脚本橋本忍
音楽芥川也寸志
撮影川又昂
製作三嶋与四治
杉崎重美
配給松竹
美術重田重盛
編集浜村義康
録音栗田周十郎
松本隆司(調音)
照明三浦礼
その他IMAGICA(現像)
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3.《ネタバレ》 1970年の清張映画『影の車』の舞台は、都心から神奈川、多摩丘陵を跨ぐ田園都市線の藤が丘駅から東急バスで幹線道路を少し下った地域。バス停沿いに造成された住宅街から外れた丘の上の雑木林の中に建つ一軒家(殆んど山の中?)。60年代に有り得べき、多少デフォルメされた郊外の光景がまず興味深かった。庄野順三『夕べの雲』の自宅も多摩丘陵の丘の上の一軒家だったなぁと。

田園都市線は、大山街道沿いではあるが、基本的に多摩丘陵を横断した新しい路線で、小田急線や中央線に比べてアップダウンが激しく、それを均しながら敷設されているのが特徴。溝の口から長津田が1966年開通なので、基本的に沿線は新興住宅街。東急によって団地と分譲住宅が駅から徐々に広がるように開発されていったが、とにかく坂が多い。映画を観ると当時の開発前の風景がよく分かる。藤が丘駅前のロータリーとか、ロケ地だった長津田、つくし野の方の田舎具合、土壌剥き出しの場所をひたすら延びる幹線道路(246号線?)と突如現れるコンクリート製の団地群のアンバランスさ等。そういう場面カット(特に空撮)だけでも興味が尽きない。

私は90年代に藤が丘駅前に1年ほど住んだことがあるが、当時は市が尾から港北インターまでは本当に何にもなく、田舎道をよく車で飛ばしていた。今はもう雑木林や畑もなくなって、切れ目なく住宅街地域が繋がった典型的な郊外の風景となっている。田園都市線も青葉台とか、たまプラーザは安定した高級住宅街となったが、人々が住んできた地域の歴史という観点からは比較的新しい街故に昔ながらの商店街や古い民家などはあまり見られない。昔は、大山街道や鎌倉街道沿い以外は丘陵地帯で人が住んでいなかった場所が多く、地図で寺社の分布などを見るとその辺りがよく分かる。地図好き、歴史好き、ブラタモリ好きには堪らない記録映画とも言える。

映画は、善悪を超えた純粋な殺意、その存在の狂気を恋愛というノンモラルな舞台の中に描いた殆ど唯一無二のミステリーといえる。これは大傑作です。
真面目なサラリーマン加藤剛と美しい未亡人岩下志麻が道ならぬ恋に落ちる不倫ものというだけも普通に観られる。そこに加藤剛の妻として小川真由美が絡む、その三角関係のキャストだけでもう野村芳太郎作品の傑作でしょう。

しかし、本題はここから、岩下志麻の息子が加藤剛に善悪を超えた純粋な殺意を抱くのが、加藤の妄想なのか、現実なのか、そこに愛人岩下志麻の妖艶で純粋な恋愛的な存在が絡み、また加藤が幼少期に母の浮気を目撃するという苦い記憶が自身の妄想に重なり、彼の精神は徐々に崩壊していく。同時に、加藤、岩下、息子の関係も彼ら各々の純粋さ故に悲劇に向かうことになる。この奇妙なミステリーは、斬新、深淵、戦慄で、且つ面白かった。純粋さが善悪を超える存在であることをリアルに示した『影の車』は、ホラーな文学的作品であると共に、エンタメ、社会派ミステリー映画としても充実している。
onomichiさん [インターネット(邦画)] 9点(2024-10-05 21:19:15)
2.《ネタバレ》 中年に差し掛かろうとするサラリーマンの男(加藤剛)が電車に乗っている。電車を降りた彼はバスに乗り換えた。帰宅中のようだ。そんな彼に同世代とおぼしき女性(岩下志麻)が声をかける。
「あのう、失礼ですけども浜島さんじゃございません? 吉田でございます」。
男は浜島幸雄といい、新宿の旅行代理店で働いている。声をかけた女は小磯泰子(旧姓吉田)。二人とも子供の頃に千倉(現・南房総市)という漁師町に住んでいて顔見知りだった。たまたま二人とも同じ路線バスを使っていたのだった。
ある日、二人は同じようにバスに乗り合わせる。泰子は一緒に降りないかと言う。泰子の主人は4年前に亡くなっており、年季の入った小さめの小磯邸には、健一という6歳の息子がいた。夕食の鍋をつつきながら、話に花が咲く。
浜島は団地で妻と二人暮らしをしている。結婚して10年経つが子供はいない。妻は家で花の教室を開いており、家の中は花だらけだ。仕事に勤しむ妻の姿やしょっちゅうやってくる生徒のため、浜島は家に安らぎが感じられず、居場所もない。
お互いのそんな環境の中、どちらからともなく、半ば自然に惹かれあう浜島と泰子。やがて男女の関係となり、浜島は小磯邸を頻繁に訪れるようになるが、健一は何かを感じ取っているようだ。そして…。

本作の魅力は大きく分けて二つある。まずは巧みな設定が、最終的な悲劇に人間の業のようなものを感じさせるところ。それから、それを成立させているキャスティングだ。ここから順を追って述べていきたいと思う。

本作の特徴は、健一が浜島に懐かないばかりか、様々な嫌がらせを仕掛け、果ては刃まで向けてしまうところと、浜島がそれを強く責められないところだ。
なぜか。それは浜島に6歳の時の思い出があるからだ。実はかつての千倉で、母親と二人暮らしだった浜島の家を訪ねてくるおじがいた。時に土産を持ちながらも頻繁に訪れていたおじは、浜島の目を盗んで母親と抱き合っており、浜島はそれを見てしまっていたのだった。ある日、おじと海釣りに行った浜島は、ナタでおじの命綱をこっそり切ってしまった。海に落ちたおじは亡くなったが、浜島の行動は気付かれず、お咎めなしだったのだった。
そんな過去を持つ浜島には健一の気持ちや行動がよく分かるのだった。それでも健一の持つ斧が自分にまっすぐ向いていた朝、命の危険を感じた浜島は、ついに健一ともみ合いになり首を絞めた。こうして警察沙汰となり、二人の不倫は知られるところとなったのだった。

いずれは妻と離婚して泰子と一緒になろうと考えながらも、健一のことで心に葛藤を持っていた浜島に対して、泰子は一直線だ。健一が浜島に懐いているものと思い込み、それを疑う浜島に「あなたの錯覚よ」と答え、さらに「私たち、そんなに罪の深いことをしてるかしら」とも言う。最終的には泰子の方が積極的となっているのだ。この二人の認識の違いが悲劇となったのであろう。
でも、浜島を攻めることは出来ない。健気で一途な泰子――しかもあの岩下志麻なのだ――と関係が切れる男などいるものか!

閑話休題。ここまで書いてきたように、幼き過去に自分の嫌悪感を犯罪という形で断ち切った主人公が、今度は因果応報というべき形で断罪されているのだ。しかも、かつてと同じように、子供の行動は周りの大人(昔は村人、今は取り調べにあたっている刑事)には理解されず顧みられもしない。かけている眼鏡を手に持ち、悔しさのあまり手で握りつぶす浜島の、言葉では表せない種々の感情。それが本作の肝であろう。

あとはキャスティングだ。加藤剛の、男前な中に同居する、どことない線の細さと頼りなさ。岩下志麻の、仕事をしっかりこなしながら生活を支えるたくましさ、落ち着きの中に同居する可愛らしさと従順さ、そして大人の色気。どちらも作品世界の成立に十分に貢献している。加藤剛の妻を演じた小川真由美のパワフルさとサバサバした強さも同様だし、そして刑事役の芦田伸介である。人生の酸いも甘いも噛み分けてきたかのような深みの中に見える、職業的な嫌らしさと強情さには、憎らしさとともに強い説得力が存在するのだ。

このように、本作の内容にキャスティングがしっかり答えているところに、本作の企画陣やキャストの力量が見える。もちろん、脚本や監督についてもしかりである。

ところで、近年のTV報道を見ていると、不倫はとにかく激しく叩かれがちだ。当事者に近しい人物にとってはとうてい許されることではないが、そこには一言では説明できない家庭環境や過去が反映されている場合もあるかもしれないし、それをするしかない人も存在するのだろう。現実の不倫を肯定するものではないが、外部の人間はそれをおもんぱかるところからも人としての深みが熟成されていくのではないか。
はあさん [DVD(邦画)] 9点(2020-11-01 19:14:27)
1.このところ加藤剛演じるお奉行様が再放送されていて思い出しました。
観たのは中学生の時でした。松本清張原作の三本立て上映の一本。メインは「砂の器」で「張り込み」もあったけど、ラストだったし熟睡して憶えてません。やはり三本立てはキツイです。
怖いのはたしかに怖い、でも私が怖いと感じるのは主人公が追いつめられていく過程でも愛人の息子でもありません。愛人を、子供との生活の場である家に入れ、子供が襖一枚隔てただけの隣の部屋で寝ているというのにセックスまでできる、しかもエクスタシーの塊になれる二人の母親ですね、これがいちばん怖いです。
愛人作るなセックスするなとは言いません、するなら生活の場とは関係ない時間と場所じゃないとね、最低限のマナーです。
人には言えない過去とトラウマを抱えつつ、実母と愛人の関係に憎悪したにも関わらず同じことをしている主人公も怖いです。逃れられない運命とか宿命を感じてしまいます。
子供は、特に母親には母親だけであってほしいもので、女の部分なんて知りたくないし見たくないのが普通です、口に出さないだけです。まだ一人で生きていけない子供ですから表向きは母親に理解を示す、しかしそれを真に受けちゃいけませんね。
親の大人のエゴや欲が子供に闇と影をおとすという見本のような映画でした。映画館を出た後、中学生には過激な内容であったこともあって誰も感想を口にしなかったと記憶してます。ただ似たような環境で育った私には主人公と息子が痛かったですね、特に取調室での告白のシーンは身につまされました。
・・・少子化でいいんじゃないの?子育てに不向きの人は確実にいるわけですからね。
envyさん [映画館(邦画)] 9点(2009-10-22 11:27:43)(良:1票)
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【点数情報】

Review人数 23人
平均点数 7.09点
000.00%
100.00%
200.00%
300.00%
400.00%
514.35%
6521.74%
71147.83%
8313.04%
9313.04%
1000.00%

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