1.「9・11」と聞いて、「テロ機がWTCに突っ込んで崩壊させた事件」と言うのは容易だが、よくよく考えてみれば、あの事件がひと段落して全貌がある程度解明されてから初めて「9・11」という呼び方が定着したのであって、事件当初からそのように便利なキーワードがあったわけではないことに思い至る。日本の「地下鉄サリン事件」とか「阪神・淡路大震災」がそうだったように、事件が発生したあの朝は、何が起こっているのか誰にもわからなかったはずだ。あの朝、消防士達は何が起こっているのかわからぬままに現場に行き、情報が錯綜して混乱するなかで精一杯自分達ができることをしようと模索した。そして、依然として何が起こっているのかわからぬままに、大音響の暗闇にカメラとともに消えるのだ。混乱、混乱、混乱...。あとになって思えば9・11だけれども、あのとき起こっていたのは9・11ではないことを、このフィルムを観ると痛感する。要するに大事件とは、どこもかしこも混乱した現場の集合に過ぎないのだから、「事件は現場で起こっていなかった」と逆説的に言うことができるのかも知れない。もちろん,このドキュメントフィルムには「その後」もあり、現場が「事件」になっていくさまもあからさまに記録されている。このような作品が作れたのは、もちろん運命のめぐりあわせもあっただろうが、製作者の兄弟がすでに数ヶ月もの間消防官と寝食を共にし、信頼関係を築いてきたことも大きかったのだと思う。それが世紀の映像なのにもかかわらず、全く気負ったところがない抑えた筆致に如実に現れていると私は感じた。